2015年1月18日日曜日

2015年1月18日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(211)
       山尾かづひろ  読む

■ 尾鷲歳時記(208)

       内山 思考    読む

俳枕 江戸から東京へ(211)

人形町(その3)
文:山尾かづひろ 


身延山別院











都区次(とくじ):今日は破れかぶれな寒さですね。
江戸璃(えどり):明後日は大寒ですもの。こんなものでしょ。

産土をしっかり踏んでいる寒さ  越川ミトミ

都区次: 前回は十思公園(じっしこうえん)でしたが、今回はどこへ案内してくれますか?

立売りの丁々発止寒鮃  小熊秀子

江戸璃:身延山別院よ。今回も大矢白星師に12年ほど前に案内して貰ったコースを同じ説明をして歩こうというわけ。前々回に大安楽寺を説明したけれど。その寺の隣にある寺なのよ。明治になって牢屋敷が廃止された後、住む人も無く放置されていた跡地に明治15年、法華の道場を建立して亡霊達を慰めようとしたのが始まりなのよ。
都区次:ところで、本堂左手の小堂内に「開運油かけ大黒天像」がありますが、これは何ですか?
江戸璃:日蓮上人の坐像が本尊でしょうけれど、別院の説明によると、戦前・戦後の名優だった長谷川一夫氏は京都伏見の出生で、その町に油かけ町があって、昔油を売る商人が道端の石像に間違って油をかけて以来商売が大繁盛したそうなのよ。長谷川一夫氏のしげ夫人は神仏に厚く帰依している人で、戦後間もなく油かけの石像がひんぱんに夢枕に立って、帝都に祀り衆人に縁を広めよとの御告げを受けたそうなのね、夫人が早速別院の当時の住職藤井日静上人に相談すると、上人が幼少のころ実家で夜中、火災が発生しそうになったとき大黒天が夢に出てきて幼少の上人を小槌で叩き起こし、実家裏手の出火を知らせ、小火のうちに消火出来たそうなのよ。以来大黒天を祀ったそうよ。上人の実家の経緯と今回の夫人の相談と深い縁を感じ、夫人が施主となり別院に「開運油かけ大黒天像」を祀ることになったそうで、商売繁盛、開運、安産に御利益があるそうよ。

油かけ大黒天












松過ぎの顔となりけりお題目   長屋璃子
揃ひ鳴る団扇太鼓や松も過ぎ   山尾かづひろ

尾鷲歳時記 (208)

句会の花束
内山思考 

冬ぬくしアンパン顔の自治会長  思考  


説白燕時代の和田さん
京橋駅で













阪神淡路大震災から二十年たつという。テレビの特別番組を見ながら、もうそんなになるのかと思った。平成7年1月15日、つまりあの震災の前々日、41歳の僕は「白燕」の句会のために神戸の住吉にいた。僕は前年に和田悟朗さんの俳句に引かれて同人になったばかり、その日は少し早く行って花屋を探していた。正月にベテランのTさんが亡くなったと聞いていたので、Tさんがいつも座っていた席に花を飾ってあげたいと思ったのだ。

句会場は住吉駅前のビルだったから記憶違いでなければ、その駅のホーム下で見つけた花屋に僕は入った。小さなスペースを一杯に使った店の主らしい女性は、カサブランカを包み始めたが、手を動かしながらもう一人の中年男性に「困ります」と言った。「灯油は駄目なんです」察するに彼女は、従業員の買ってきたストーブが気に入らなかったようだ。男は何かモゴモゴと返事をした。

「火が危ないから・・・電気のに変えてきて下さい」丁寧な話しぶりからすると夫婦ではなさそうだ。静かな、しかし一方的に近いやりとりを背に、僕は花束を抱えて会場へ向かった。句会が終わってから、どなたかこの花を、と声をかけたが皆さん首を傾げて微笑むばかり。献花だから無理も無いが、五時間かけて尾鷲まで持って帰る訳にも行かず、思案していると「わたし頂くわ」と言ってくれたのが柿本多映さんだった。僕はホッとした。


元白燕同人
坂本ひろし作の独楽
そして翌々日の未明、あの地震が起きたのだ。尾鷲は震度3、「お父さん地震!」隣で寝ていた恵子の声に起き上がったが揺れはしばらく続いた。子供たちの様子をみて寝室に戻ると恵子がつけたテレビの画面に、関西から近畿一円の地震情報が映り京都、大阪、奈良あたりに震度の数字が点々と並んでいた。しかしその時、神戸には何の表示も無かったのを覚えている。あれから僕は、震災のニュースを聞くたびに、花屋での出来事と真っ白いカサブランカの花束を思い出すのである。