■ 俳枕 江戸から東京へ(249)
山尾かづひろ 読む⇒
■ 尾鷲歳時記(246)
内山 思考 読む⇒
2015年10月11日日曜日
俳枕 江戸から東京へ(249)
板橋区松月院
文:山尾かづひろ
挿絵:小倉修子
江戸璃(えどり):前回の寺家ふるさと村は吟行日和で何よりだったわね。
雲の上更に雲あり秋高し 柳沢いわを
振り向けば団栗落つる音なりし 福田敏子
猫じゃらし風を誘ひぬ畷道 白石文男
都区次(とくじ):ところで、今回はどこですか?
江戸璃:板橋区に古かった寺田り江さんに今時分の季節に板橋区の吟行を案内してもらったのを思い出してね。私の独断と偏見で板橋区の松月院へ行くわよ。
爽籟の古刹秋帆顕彰碑 星 利生
木犀の金銀和して松月院 大本 尚
危なげに幼子歩く菊日和 寺田り江
砲筒を秋天に向け紀功の碑 佐藤照美
大石の鐘楼囲む昼の虫 吉田ゆり
青銅の庇張り出す鵙日和 小熊秀子
秋の蜘蛛松月院の石灯籠 熊谷彰子
境内に二つの木馬鳥渡る 奥村安代
塀長く木犀匂ふ朱印寺 大木典子
江戸璃:本堂の左手に日本陸軍創設の一人で西洋砲術に長けた高島秋帆を象徴する紀功碑があってね、天保12年5月7日、朱印寺松月院に本陣を置いたと記されているわね。
松手入松粛々としたがひぬ 戸田喜久子
板橋に古刹ありけり朱印状 白石文男
名刹やなんといい風菊日和 甲斐太惠子
松月院供養の灯り曼珠沙華 石坂晴夫
石仏の眼の優しげに草紅葉 油井恭子
輪台をつけて大菊かしこまる 近藤悦子
山門に葷酒不許とや秋気満つ 白石文男
つくばひの水満々と秋気満つ 甲斐太惠子
石榴爆ぜなか幽玄と燃盛る 石坂晴夫
江戸璃:アクセスだけれど東京の人だったら池袋から東武東上線に乗って「下赤塚駅」から徒歩で行けるわよ。
陽を集め人目を引きて石榴熟れ 長屋璃子
鰯雲青銅砲の天捉ふ 山尾かづひろ
文:山尾かづひろ
挿絵:小倉修子
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実石榴 |
江戸璃(えどり):前回の寺家ふるさと村は吟行日和で何よりだったわね。
雲の上更に雲あり秋高し 柳沢いわを
振り向けば団栗落つる音なりし 福田敏子
猫じゃらし風を誘ひぬ畷道 白石文男
都区次(とくじ):ところで、今回はどこですか?
江戸璃:板橋区に古かった寺田り江さんに今時分の季節に板橋区の吟行を案内してもらったのを思い出してね。私の独断と偏見で板橋区の松月院へ行くわよ。
爽籟の古刹秋帆顕彰碑 星 利生
木犀の金銀和して松月院 大本 尚
危なげに幼子歩く菊日和 寺田り江
砲筒を秋天に向け紀功の碑 佐藤照美
大石の鐘楼囲む昼の虫 吉田ゆり
青銅の庇張り出す鵙日和 小熊秀子
秋の蜘蛛松月院の石灯籠 熊谷彰子
境内に二つの木馬鳥渡る 奥村安代
塀長く木犀匂ふ朱印寺 大木典子
江戸璃:本堂の左手に日本陸軍創設の一人で西洋砲術に長けた高島秋帆を象徴する紀功碑があってね、天保12年5月7日、朱印寺松月院に本陣を置いたと記されているわね。
松手入松粛々としたがひぬ 戸田喜久子
板橋に古刹ありけり朱印状 白石文男
名刹やなんといい風菊日和 甲斐太惠子
松月院供養の灯り曼珠沙華 石坂晴夫
石仏の眼の優しげに草紅葉 油井恭子
輪台をつけて大菊かしこまる 近藤悦子
山門に葷酒不許とや秋気満つ 白石文男
つくばひの水満々と秋気満つ 甲斐太惠子
石榴爆ぜなか幽玄と燃盛る 石坂晴夫
江戸璃:アクセスだけれど東京の人だったら池袋から東武東上線に乗って「下赤塚駅」から徒歩で行けるわよ。
陽を集め人目を引きて石榴熟れ 長屋璃子
鰯雲青銅砲の天捉ふ 山尾かづひろ
尾鷲歳時記(246)
ノーベル賞のこと
内山思考
秋の山互いに仕事輝かせ 思考
人と長く付き合うと、何度か同じネタの話にも付き合うことになるのは当然で、内容によっては、悪口や愚痴で無い限り繰り返し聞くのもそんなに嫌なものではない。先日の日本人による二部門のノーベル賞受賞は、もちろん我が家でも心躍るニュースとして話題になったが、いつもノーベル賞話の延長で復活するのが惠子の思い出話である。
彼女が三十代の頃、出張で上京し東京駅のホームで電車を待っていると隣で名刺交換をしている人がいた。何気なく一人の手元に目をやったらその名刺には大きく名前だけが印刷されている。肩書きがあるのが普通なのにこの人は一体誰?あらためて視野をズームインさせると「江崎玲於奈」の文字が見えた。どこかで聞いた名だな・・・、首を傾げながら電車に乗ってやっと「あっノーベル賞の」と気づいたと言うオチである。
江崎玲於奈博士が「半導体内および超伝導体内の各々におけるトンネル効果の実験的発見」で同物理学賞を受賞したのがそれより一昔前の1973年(昭和48)だから、急に思い出さなかったのも無理はないかも知れない。1925年生まれの江崎博士が卒寿を迎えてご健在なのは喜ばしいことである。
さて僕の場合ノーベル賞と言えば少年時代の「ノーベル賞飴」が記憶に残る。昭和三十年代は戦後の食糧難からようやく逃れたころで、一般的に喰うには困らないものの菓子類には飢えていた世代の僕は、「甘いものが食べたい」と常に願っていた。そんな生活に、ほんのときたま贈答品としてやって来たのが「扇雀飴」と「ノーベル賞飴」で、「扇雀飴」は丸く平たいブリキ缶に入った鳥の形?のキャンデーだったのは覚えているが、「ノーベル賞飴」の方は名称以外全く記憶に無い。
いま調べたら、大阪の菓子会社が1949年の湯川秀樹博士の日本人初のノーベル賞受賞をきっかけに、「ノーベル賞飴」を考案発売し、その後社名も「ノーベル製菓」に変えたのだとか、少年の日の懐かしい「ノーベル賞飴」をもう一度口の中で転がし、味わってみたいものである。
内山思考
秋の山互いに仕事輝かせ 思考
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彼は江崎氏受賞の前日に 生まれた |
人と長く付き合うと、何度か同じネタの話にも付き合うことになるのは当然で、内容によっては、悪口や愚痴で無い限り繰り返し聞くのもそんなに嫌なものではない。先日の日本人による二部門のノーベル賞受賞は、もちろん我が家でも心躍るニュースとして話題になったが、いつもノーベル賞話の延長で復活するのが惠子の思い出話である。
彼女が三十代の頃、出張で上京し東京駅のホームで電車を待っていると隣で名刺交換をしている人がいた。何気なく一人の手元に目をやったらその名刺には大きく名前だけが印刷されている。肩書きがあるのが普通なのにこの人は一体誰?あらためて視野をズームインさせると「江崎玲於奈」の文字が見えた。どこかで聞いた名だな・・・、首を傾げながら電車に乗ってやっと「あっノーベル賞の」と気づいたと言うオチである。
江崎玲於奈博士が「半導体内および超伝導体内の各々におけるトンネル効果の実験的発見」で同物理学賞を受賞したのがそれより一昔前の1973年(昭和48)だから、急に思い出さなかったのも無理はないかも知れない。1925年生まれの江崎博士が卒寿を迎えてご健在なのは喜ばしいことである。
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昭和三十年代の 最先端家電 |
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