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俳枕 江戸から東京へ(101)
山尾かづひろ 読む⇒
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尾鷲歳時記(98)
内山 思考 読む⇒
2012年12月9日日曜日
俳枕 江戸から東京へ(101)
三田線に沿って(その16)正岡子規、常盤会宿舎を出る
文:山尾かづひろ
都区次(とくじ): 子規と言えば日暮里・根岸の子規庵と、まるで連想ゲームのように反応したくなるのですが、常盤会宿舎にはいつまでも居たわけではありませんよね。
江戸璃(えどり): 明治24年12月に駒込の下宿に移ったのよ。
忙(せわ)しくも転居をしたる十二月 小熊秀子
江戸璃: ただし2月には根岸に転居しているのよ。だから駒込に居たのは3ヶ月間よね。
都区次:そもそも費用の安い常盤会宿舎を出たのはどういう訳ですか?
江戸璃:本の数が増えちゃって、常盤会宿舎では手狭になっちゃったのよ。
都区次:それにしても3ヶ月で根岸へ転居するとはどういう訳ですか?
江戸璃:これには正岡家の経済的事情が絡んで来ているのよ。現地の日暮里・根岸に行ってから話をしたくなったわ。山手線で日暮里へ行くわよ。
都区次:小腹が空きましたね。着いたら羽二重団子を食べませんか。
江戸璃:いいわね。
芋坂の団子を買ひにうつた姫 長屋璃子(ながやるりこ)
煌として芋坂橋の冬灯 山尾かづひろ
文:山尾かづひろ
日暮里駅 |
都区次(とくじ): 子規と言えば日暮里・根岸の子規庵と、まるで連想ゲームのように反応したくなるのですが、常盤会宿舎にはいつまでも居たわけではありませんよね。
江戸璃(えどり): 明治24年12月に駒込の下宿に移ったのよ。
忙(せわ)しくも転居をしたる十二月 小熊秀子
江戸璃: ただし2月には根岸に転居しているのよ。だから駒込に居たのは3ヶ月間よね。
都区次:そもそも費用の安い常盤会宿舎を出たのはどういう訳ですか?
江戸璃:本の数が増えちゃって、常盤会宿舎では手狭になっちゃったのよ。
都区次:それにしても3ヶ月で根岸へ転居するとはどういう訳ですか?
江戸璃:これには正岡家の経済的事情が絡んで来ているのよ。現地の日暮里・根岸に行ってから話をしたくなったわ。山手線で日暮里へ行くわよ。
都区次:小腹が空きましたね。着いたら羽二重団子を食べませんか。
江戸璃:いいわね。
羽二重団子 |
芋坂の団子を買ひにうつた姫 長屋璃子(ながやるりこ)
煌として芋坂橋の冬灯 山尾かづひろ
尾鷲歳時記(98)
師走二題
内山思考
結び目のどんどん増える師走かな 思考
12月1日、大阪のホテルで関西現代俳句協会恒例の「忘年会&句集祭」が行われ、僕は和田悟朗さんの第十句集「風車」上梓をお祝いすべく出席した。しばらく大会にも出ていないので、席上、諸先生や先輩方に久し振りにお会い出来、それも有意義なことであった。
忘年会では和田さんの隣に座らせて貰って会話を楽しみ、数々のご馳走に舌鼓を打ったのだが、次から次へとコース料理が運ばれて来るのに、和田さんの皿の上に肉の塊がいつまでも乗っているのが気になって仕方ない。ああ、少し堅いから敬遠しているのだな、だったら頂こう、と思い「先生、それ食べ難いですか?」と聞くと、「え?そんなことないよ」と和田さんは左手の(左利き)箸を伸ばしてその肉を口に運んだ。そうだ、俳人・和田悟朗は大正12年生まれだが、身体同様に歯は無類の丈夫さを誇っている。ただ食べ方がゆっくりなのだということを思い出し、僕は意地汚い考えを起こしたことを密かに恥じた。
話題は大きく変わって、平成8年12月29日の朝日新聞三重版に次の記事が掲載されている。「日蓮座像から法華経・140年ぶりの修復で姿」、内容を要約するとこうだ。尾鷲市北浦町の妙長寺住職、青木健斉上人が、寺に伝わる日蓮聖人座像の汚れを落とそうと、名古屋の仏具店に修復を依頼したところ、座像の体内から法華経の巻物が見つかった。それには「文政十二(1829)年六月十九日」の日付が記されてあった。寺の記録によると、この座像は安政二年(1855)に三度目の修復がされている。
つまり取材当時140年ぶりの発見だったわけである。このニュースからしばらくたって、僕は青木上人からある提案を頂戴した。あの座像に巻物と現在の檀家の名を入れて再び閉じるのだが、貴方の俳句も一緒に入れないかと言うのだ。僕は驚いたがすぐに了承した。その時、確か五句作ったが、どんな俳句だったのかもう忘れてしまった。
内山思考
結び目のどんどん増える師走かな 思考
旧知の石川日出子さんも 句集「直感」を上梓された |
12月1日、大阪のホテルで関西現代俳句協会恒例の「忘年会&句集祭」が行われ、僕は和田悟朗さんの第十句集「風車」上梓をお祝いすべく出席した。しばらく大会にも出ていないので、席上、諸先生や先輩方に久し振りにお会い出来、それも有意義なことであった。
忘年会では和田さんの隣に座らせて貰って会話を楽しみ、数々のご馳走に舌鼓を打ったのだが、次から次へとコース料理が運ばれて来るのに、和田さんの皿の上に肉の塊がいつまでも乗っているのが気になって仕方ない。ああ、少し堅いから敬遠しているのだな、だったら頂こう、と思い「先生、それ食べ難いですか?」と聞くと、「え?そんなことないよ」と和田さんは左手の(左利き)箸を伸ばしてその肉を口に運んだ。そうだ、俳人・和田悟朗は大正12年生まれだが、身体同様に歯は無類の丈夫さを誇っている。ただ食べ方がゆっくりなのだということを思い出し、僕は意地汚い考えを起こしたことを密かに恥じた。
話題は大きく変わって、平成8年12月29日の朝日新聞三重版に次の記事が掲載されている。「日蓮座像から法華経・140年ぶりの修復で姿」、内容を要約するとこうだ。尾鷲市北浦町の妙長寺住職、青木健斉上人が、寺に伝わる日蓮聖人座像の汚れを落とそうと、名古屋の仏具店に修復を依頼したところ、座像の体内から法華経の巻物が見つかった。それには「文政十二(1829)年六月十九日」の日付が記されてあった。寺の記録によると、この座像は安政二年(1855)に三度目の修復がされている。
現代版タイムカプセル の記事 |
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