2011年9月4日日曜日

2011年9月4日の目次

俳枕 江戸から東京へ(35)
             山尾かづひろ   読む
尾鷲歳時記 (32)                          
                   内山  思考    読む

私のジャズ (35)          
                  松澤 龍一     読む

俳枕 江戸から東京へ(35)

深川界隈/閻魔堂
文:山尾かづひろ 挿絵:矢野さとし 

閻魔堂














都区次(とくじ): それでは深川不動から北へ行ってみましょう。すぐ裏の首都高速の下を行くと、橋も無いのに「和倉橋」という交差点に出ました。
江戸璃(えどり): ここには以前、油堀川があってね、この川を埋め立てて首都高速9号深川線を造ったのよ。川は昭和50年に埋立てられたので和倉橋はとりはずされて名前だけ残っているのよ。川の跡に沿って西へ行ってみましょう。
都区次: 清澄通に出ましたが、ここにも橋があったようですね?
江戸璃: 黒亀橋という橋があったのよ。明治34年に架け替えられる以前は富岡橋という橋で江戸切絵図にも載っていて、近くに真言宗の賢薹山法乗院の閻魔堂があったので通称は「えんまどう橋」と呼ばれていたのよ。
都区次:閻魔堂へ行ってみましょう。
江戸璃:すぐ先に見える赤いお堂がそうよ。現在はコンピューター内蔵の大閻魔像が置かれてあって、お賽銭を入れると照明がついたり、音声の説教が流れたりするわよ。珍しい封じ願いとして「浮気封じ」などというのもあるわよ。アハハ。

深川の閻魔さん














深川の閻魔堂への油照り 長屋璃子(ながやるりこ)
大川の光りし閻魔詣かな 山尾かづひろ

尾鷲歳時記 (32)

歩き方について
内山思考 

灯下親し下田逸郎調弦す 思考 


台風接近、昔なら旅人は足留め


















「歩き方を変えてみよう」と思ったのは半年ほど前のこと。湯上がりにボーッと自分の足を見ていて、日常、足の指をあまり動かしていないことに気づいたのだ。大げさに言えば、指の付け根と踵だけで60年近く歩いて来たわけで、25・5センチの足を20センチしか使っていなかった、それは勿体無いことだ。

そこで試しに足でゲンコツを作るつもりでギュウと内側に折り曲げたら、足の裏か゛つった。「アイタタタ」 それから毎日、足の指で大地をつかむ気持ちで歩くようにしていたら、中指と薬指の外側に慢性的にできていたタコが無くなってしまった。目覚めたのだ足指が。

尾鷲の町には、熊野古道目当てにやって来たハイカーや、早朝、夕方のウォーキングを日課にしている人が大勢いる。皆さんそれぞれに自分の歩き方をどの程度意識しているのだろうか。一人一人に聞いてみたいものだ。

日本古来の履き物であるワラジ、下駄、草履を見ても、足の親指と他の指を分ける仕組みになっている。これだと自然と指に力が入り、バランス感覚が養えるのではないか。 農作業などの労働が多かった時代は、前かがみになる作業が多かったせいか、腰の曲がった人をよく見かけたが、最近の日本人は姿勢がいい。その代わり筋力が衰え始めると、膝、腰に負担がかかるのである。

数年前、ナンバ歩きというのが話題になり、その火付け役ともいえる古武術家・甲野善紀(よしのり)さんに会いに行ったことがあった。甲野さんによれば、古(いにしえ)の日本人は今、我々が行進するように、イチニ、イチニと歩くのでなく、上半身をほとんど動かさないで、右手右足、左手左足を出す感覚で歩いていたという。つまり腰が捻れないのだ。


一本歯の下駄、裏は
天狗の顔みたい

甲野さんに会って以来、僕は、思いつくまま体の使い方をいろいろ試している。と言っても、公衆の面前でナンバ歩きをしているわけではない。 以前、妙長寺の青木上人から頂戴した一本歯の下駄がある。いつかこれを履いて天狗のように天狗倉山(てんぐらさん)を登ってみようか。

私のジャズ (35)

ソ連のジャズ
松澤 龍一

ANTHOLOGY OF SOVIET JAZZ
(MOHO M60 46471 007)












「私のジャズ」の愛読者の方から貴重な資料をお借りした。ANTHOLOGY OF SOVIET JAZZ と題されたLPレコードである。この方は大学でロシア文学を専攻され、ご主人のお仕事の関係でペレストロイカ時代のモスクワに滞在されていた。

ジャケットはロシア語で書かれているため内容は良く分からないが、録音された年をみてびっくり。1937-40年である。ボルシェヴィキによる10月革命が1917年、レーニンの死去、トロツキーの追放が1924年で、スターリンの独裁体制が固まりつつある時代、ちょうど「大粛清」が起きている頃である。ロシア革命からたかだか10数年、その混乱も収まらない時に、こんなジャズがソ連で受けていた。



当時、本家のアメリカで流行っていたダンス系のスウィングバンドだが、随所にロシア民謡系の味付けが光る。曲はオリジナルが多いが、Solitude  や Blue Moon などのスタンダードも演奏している。ロシア語で唄う Blue Moon も中々なもの。
ロシアと言えば、スタンダードポップの作曲家、本名はロシア語表記で  Израиль Исидор Бейлин、英語表記で Israel Isidore Baline が有名だ。アメリカにわたりアーヴィング・バーリンとアングロサクソン風の名に変え、多くのヒット曲を作った。「ホワイト・クリスマス」がヒット曲のひとつ。