■ 俳枕 江戸から東京へ(183)
山尾かづひろ 読む⇒
■ 尾鷲歳時記(180)
内山 思考 読む⇒
2014年7月6日日曜日
俳枕 江戸から東京へ(183)
山手線・浜松町(その3)
文:山尾かづひろ
都区次(とくじ):前回は浜松町の有章院霊廟二天門でしたが、今日はどこへ案内してくれますか?
重厚な築地塀見え梅雨晴間 小熊秀子
江戸璃(えどり): やはり大矢白星師に12年前に案内してもらったコースだけれど増上寺の三解脱門(さんげだつもん)へ行くわよ。二天門から増上寺の重厚な築地塀の方へ向うと三解脱門が見えてくるでしょ。この門は伽藍配置上の中門(ちゅうもん)にあたるもので、略して三門(さんもん)と呼ばれるのよ。山門ではないのよ。慶長16年(1611)徳川家康の助成により、幕府の大工頭・中井大守の配下によって建立されたもので、重要文化財に指定されているのよ。貪欲(どんよく)、愼恚(しんい)、愚痴(ぐち)の三悪を解脱するという意味から「解脱」の名があるそうよ。間口十間余(約19メートル)、奥行五間(約9メートル)、高さ七丈(約21メートル)のニ層建てで、左右に三間(5.4メートル)の山廊があるのよ。また、よく見ると分るのだけれど、上層部分が小さく見えることを考慮して入母屋の張りだし部分を下層より大きくしてあるそうよ。様式の組み物などは唐様が中心で、勾欄などは和様、天竺様が加味されているそうで、楼内には慶長から元和年間にかけて、京仏師によって作られた釈迦三尊像、十六羅漢像などが安置されているのよ。
三門に梅雨明け近き気配あり 長屋璃子
江戸初期の規模と風格夏燕 山尾かづひろ
文:山尾かづひろ
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三解脱門 |
都区次(とくじ):前回は浜松町の有章院霊廟二天門でしたが、今日はどこへ案内してくれますか?
重厚な築地塀見え梅雨晴間 小熊秀子
江戸璃(えどり): やはり大矢白星師に12年前に案内してもらったコースだけれど増上寺の三解脱門(さんげだつもん)へ行くわよ。二天門から増上寺の重厚な築地塀の方へ向うと三解脱門が見えてくるでしょ。この門は伽藍配置上の中門(ちゅうもん)にあたるもので、略して三門(さんもん)と呼ばれるのよ。山門ではないのよ。慶長16年(1611)徳川家康の助成により、幕府の大工頭・中井大守の配下によって建立されたもので、重要文化財に指定されているのよ。貪欲(どんよく)、愼恚(しんい)、愚痴(ぐち)の三悪を解脱するという意味から「解脱」の名があるそうよ。間口十間余(約19メートル)、奥行五間(約9メートル)、高さ七丈(約21メートル)のニ層建てで、左右に三間(5.4メートル)の山廊があるのよ。また、よく見ると分るのだけれど、上層部分が小さく見えることを考慮して入母屋の張りだし部分を下層より大きくしてあるそうよ。様式の組み物などは唐様が中心で、勾欄などは和様、天竺様が加味されているそうで、楼内には慶長から元和年間にかけて、京仏師によって作られた釈迦三尊像、十六羅漢像などが安置されているのよ。
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釈迦三尊像 |
三門に梅雨明け近き気配あり 長屋璃子
江戸初期の規模と風格夏燕 山尾かづひろ
尾鷲歳時記(180)
水飯(すいはん)のこと
内山思考
水飯の湖に木匙の舟浮かべ 思考
僕の好きな夏の献立に水飯がある。もともと米の飯が好きで、炊き立ての丼めしがあれば、おかずは味噌でも梅干しでもよく、長年そんな食生活を続けている。いや、実際はちゃんとおかずも食べているから、基本的な嗜好を言っているだけだけれど。ところが家族は、僕ほど米食しないから、残ったごはんを夏場は冷蔵庫に入れる。
すると水分を失ってパサついてしまうのだ。こうなると、レンジでチンしても駄目。それよりは、笊に入れて水道水でザバザバ洗い、大きな茶碗に移して冷水を掛け、箸ではなく匙ですくってジャブジャブと食べる。これが美味いのだ。少し塩気が欲しいので、梅干しや塩昆布の細切りを入れる場合が多いから、冒頭の句の「湖」は「海」の方が正しいかも知れない。水飯を、柔らかく炊いた飯に冷たい水をかけて食す、としている文もあるが、僕には「すえた飯を水で洗ったもの」「乾飯(ほしいい)を冷水に浸したもの」の説明の方が合っている。
子規の句に
僧来ませり水飯なりと参らせん
水飯や京なつかしき京の水
があり、後の句について寒川鼠骨は、自著「子規俳句評釈(明治四十年版)」に於いて「それは京でなつかしき所で食った」のだと述べているが、僕の解釈は違う。きっと子規は、根岸の病床で水飯を食べる内に、以前訪れた京都を思い出したのだ。鼠骨翁は、京なつかしき京の水、と京を二つ重ねたので「京という事がたしかに深く頭にこたへる」と記す。
それは同感である。「そういえば元気な頃、京都で水飯くったよなあ」と箸を休め、京の水、すなわち水の京都の風情を胸中に蘇らせているのである。「僧来ませり」が明治29年作で挨拶句の呈なのに対し、京の句は明治34年のものらしい、病も篤く二度と京都を訪れることは叶わぬ身であるからこそ、いよいよ深い感慨に浸ったのであろう。この水飯が歯の具合が悪いために、胃へ流し込む目的だったならば、子規や哀れと言うべきである。
内山思考
水飯の湖に木匙の舟浮かべ 思考
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思考風の水飯 |
僕の好きな夏の献立に水飯がある。もともと米の飯が好きで、炊き立ての丼めしがあれば、おかずは味噌でも梅干しでもよく、長年そんな食生活を続けている。いや、実際はちゃんとおかずも食べているから、基本的な嗜好を言っているだけだけれど。ところが家族は、僕ほど米食しないから、残ったごはんを夏場は冷蔵庫に入れる。
すると水分を失ってパサついてしまうのだ。こうなると、レンジでチンしても駄目。それよりは、笊に入れて水道水でザバザバ洗い、大きな茶碗に移して冷水を掛け、箸ではなく匙ですくってジャブジャブと食べる。これが美味いのだ。少し塩気が欲しいので、梅干しや塩昆布の細切りを入れる場合が多いから、冒頭の句の「湖」は「海」の方が正しいかも知れない。水飯を、柔らかく炊いた飯に冷たい水をかけて食す、としている文もあるが、僕には「すえた飯を水で洗ったもの」「乾飯(ほしいい)を冷水に浸したもの」の説明の方が合っている。
子規の句に
僧来ませり水飯なりと参らせん
水飯や京なつかしき京の水
があり、後の句について寒川鼠骨は、自著「子規俳句評釈(明治四十年版)」に於いて「それは京でなつかしき所で食った」のだと述べているが、僕の解釈は違う。きっと子規は、根岸の病床で水飯を食べる内に、以前訪れた京都を思い出したのだ。鼠骨翁は、京なつかしき京の水、と京を二つ重ねたので「京という事がたしかに深く頭にこたへる」と記す。
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