2014年7月6日日曜日

尾鷲歳時記(180)

水飯(すいはん)のこと 
内山思考 

水飯の湖に木匙の舟浮かべ   思考

思考風の水飯








僕の好きな夏の献立に水飯がある。もともと米の飯が好きで、炊き立ての丼めしがあれば、おかずは味噌でも梅干しでもよく、長年そんな食生活を続けている。いや、実際はちゃんとおかずも食べているから、基本的な嗜好を言っているだけだけれど。ところが家族は、僕ほど米食しないから、残ったごはんを夏場は冷蔵庫に入れる。

すると水分を失ってパサついてしまうのだ。こうなると、レンジでチンしても駄目。それよりは、笊に入れて水道水でザバザバ洗い、大きな茶碗に移して冷水を掛け、箸ではなく匙ですくってジャブジャブと食べる。これが美味いのだ。少し塩気が欲しいので、梅干しや塩昆布の細切りを入れる場合が多いから、冒頭の句の「湖」は「海」の方が正しいかも知れない。水飯を、柔らかく炊いた飯に冷たい水をかけて食す、としている文もあるが、僕には「すえた飯を水で洗ったもの」「乾飯(ほしいい)を冷水に浸したもの」の説明の方が合っている。

子規の句に

僧来ませり水飯なりと参らせん
水飯や京なつかしき京の水

があり、後の句について寒川鼠骨は、自著「子規俳句評釈(明治四十年版)」に於いて「それは京でなつかしき所で食った」のだと述べているが、僕の解釈は違う。きっと子規は、根岸の病床で水飯を食べる内に、以前訪れた京都を思い出したのだ。鼠骨翁は、京なつかしき京の水、と京を二つ重ねたので「京という事がたしかに深く頭にこたへる」と記す。

寒川鼠骨の著書
それは同感である。「そういえば元気な頃、京都で水飯くったよなあ」と箸を休め、京の水、すなわち水の京都の風情を胸中に蘇らせているのである。「僧来ませり」が明治29年作で挨拶句の呈なのに対し、京の句は明治34年のものらしい、病も篤く二度と京都を訪れることは叶わぬ身であるからこそ、いよいよ深い感慨に浸ったのであろう。この水飯が歯の具合が悪いために、胃へ流し込む目的だったならば、子規や哀れと言うべきである。