2012年1月1日日曜日

2012年1月1日の目次

迎春

■ 俳枕 江戸から東京へ(52)
        山尾かづひろ 読む

■ 尾鷲歳時記(49)                          
        内山  思考  読む

■ 私のジャズ(52)          
        松澤 龍一  読む


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お知らせ
2010年12月19日の私のジャズ(1)
から
2011年7月3日の私のジャズ(27)

までの各編に画像を掲載しました。ご覧下さい。
                  2011年1月4日
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俳枕 江戸から東京へ(52)

隅田川東岸/三囲(みめぐり)神社 
文 : 山尾かづひろ 
三囲神社










都区次(とくじ):明けましておめでとうございます。
江戸璃(えどり):本年もよろしくお願い致します。元旦だから七福神詣でに行きましょう。
都区次:今ちょうど東京メトロの浅草駅ですから、「隅田川七福神」がよろしいでしょう。
江戸璃:それでは吾妻橋を渡って隅田川東岸へ行くわよ。
都区次:元旦で空気が澄んでいて気持ちがいいですね。隅田川も川下の橋が良く見えます。

橋に橋重ね大川初景色 大矢白星

都区次:ところでこの「隅田川七福神」が江戸で最初に出来た七福神ですか?
江戸璃:隅田川に沿っていて風光明媚なのでそのように思われるけど違うのよね。江戸で最初の七福神は宝暦年間(1751~1764)に出来た「谷中七福神」なのよ。「隅田川七福神」は蜀山人らが「谷中七福神」に刺激されて文化文政(1804~1830)の頃に作ったものなのよ。
都区次:幟(のぼり)や露店が見えて雰囲気が出てきましたね。最初は三囲神社ですね。この神社は恵比寿、大黒の二福を合祀するそうですが由来は何ですか?

参道に悴かむ老の小あきなひ 品田秀風

江戸璃:三囲神社は、現在地より北方に田中稲荷として創建されたと伝えられ、文和年間(1353-1355)近江三井寺の僧源慶が東国遍歴の際に壊れた祠を見つけ、弘法大師のゆかりと聞き改築したそうなのよ。改築しようとした際、土中より白狐にまたがる老翁の神像を得たのよ、そのとき白狐が現れて神像を三回まわったことから三囲神社と改称したそうなのよ。
都区次:境内には数多くの石碑が立っていますが、宝井其角の雨乞いの句碑は有名だそうですね。
江戸璃:元禄6年(1693)、旱魃の時、俳人其角が偶然、当地に来て、地元の者の哀願によって、「夕立や田をみめぐりの神ならば」と一句を神前に奉ったところ、翌日、降雨を見たそうなのよ。このことからこの神社の名は広まり、京都の豪商三井氏が江戸に進出すると、その守護神として崇め、三越の本支店に分霊を奉祀したのよ。
都区次:境内の狛犬の近くには意表を突くようなライオン像があるのですが何ですか?
江戸璃:三越百貨店の入口に置かれているライオン像と同じもので、平成21年に三越から奉納されたものなのよ。かつては池袋三越店頭に置かれていたけど、その店の閉店に伴い、神社から申し出があって、三越と強い縁を持っている事から奉納の運びになったのよ。


ライオン像














雨乞ひの句碑の上なる初御空   長屋璃子(ながやるりこ)
オートバイ後ろに女都鳥   山尾かづひろ

尾鷲歳時記(49)

年の初めのためしとて
内山思考

ふるさとの星の大粒年新た  思考 

題・新春












明けましておめでとう御座います。毎年、テレビのカウントダウンが終わって新年になると、僕は万全の防寒をして初詣に出掛ける。まず向かうのが妙長寺だ、路地を抜けて二車線の道に出ると、もう沢山の参詣客がそれぞれにかたまって歩いているのに出くわす。顔はよく見えない。 この人たちは皆、尾鷲神社を目指しているのだ。

その流れに逆らうように新年の闇を海の方へ行くと、五分程で日蓮宗・北浦妙長寺に着く。本堂に明かりが灯り、青木上人の読経が聞こえる。お賽銭をあげ祈願合掌。 その後、もと来た道を引き返して今度は尾鷲神社へ、響く除夜の鐘は曹洞宗・金剛寺からのものだ。嗚呼、心が改まる。 神社はもう沢山の人だかりである。 参道には屋台も出て、そこも大賑わい。 境内の焚き火が天を焦がさんばかりの勢いで炎を上げ、樹齢千年とも言われる楠の木の巨体を照らしている様は見事と言うほか無い。

ライトアップされているから、ここでは知り合いがいると御慶を交わしたりもする。北国ではないけれど、寒い深夜だから高齢者や幼児の姿はあまりなく、やはり新年のエネルギーを強烈に吸収、あるいは発散する若者たちが多く見られる。ここは本当に過疎の尾鷲なのか。 法被に鉢巻の連の衆が笛と太鼓で「寄せ太鼓」を演奏していてその名調子がまた気持を高揚させてくれる。


噂の珍味・サンマの燻製
参拝の後、喜捨と引き換えに紙コップに入った熱い甘酒を頂き少しづつすすると冷えた五臓と六腑に元気が巡って行くような気がする。アルコール分があるのか無いのかよくわからないけれど、下戸の僕にはこれで充分、年に一度のほろ酔い?気分を味わいながら帰宅して就寝。 本格的な元日の目覚めは七時頃だ。先に起き出した妻が雑煮の完成を声高に告げるのを聞いてゆっくり食卓につく。やや照れながら家族で新年の挨拶を交わし、「誕生日おめでとう」は元日生まれの妻への御慶。 こうして内山家の一年は始まるのである。

私のジャズ(52)

パンソリ
松澤 龍一

 SIMCHOGGA The Epic Vocal of Pansori
(JVCG-5019)












パンソリ、人の名前では無い。韓国の言葉で、パンは「場」、ソリは「声」や「音」を意味する。韓国、それも南部の全羅道で広く行われてきた伝統的な歌謡の一種である。日本で言えば義太夫とか浪花節のような語りものである。多くはブク(鼓)と呼ばれる太鼓と語り手で進められる。パンが「場」と言うことであれば、広場とか道路で行われた大道芸なのかも知れない。語り手は扇子一本で時には謡い、時には語り、時には踊り、色々な人物を演じる。これに被さる太鼓のリズムが絶妙で、それに加えて掛け声、合の手で語り手を鼓舞する。

韓国の言葉が分からないので、語りの内容を掴むことは出来ないが、このリズムは独特で、なんとも言いようのない快感をもたらせてくれる。リズムと言うより、地から湧き出て来るような、もっと根源的なビートのようなものである。朝鮮半島に生まれた独特のリズムだろう。

韓国は今までに一番多く訪れた国で、合計すると100回近くは行っている。すべて仕事関係だったので、ソウルを中心とした北部が多かった。全羅道と呼ばれる南部には数回行った。全羅道は昔は百済で、北部(慶尚道)の新羅に滅ぼされたと言う歴史を持つ。従って、今だに韓国でも全羅道を特別視する傾向がある。事実、全羅道からは一人しか大統領が出ていない。その一人が金大中である。そう言えば光州事件の光州も全羅道にある。