2012年10月14日日曜日

2012年10月14日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(93)
       山尾かづひろ  読む

■ 尾鷲歳時記(90)
       内山 思考   読む

■ 私のジャズ(93)        
       松澤 龍一   読む

俳枕 江戸から東京へ(93)

三田線に沿って(その8)本郷と啄木
文:山尾かづひろ 

啄木ゆかりの太栄館









都区次(とくじ): 本郷では樋口一葉と並び表されるのが石川啄木ですが。
江戸璃(えどり): 啄木は一葉と年代的に多少のズレがあるものの、本郷菊坂町界隈に過ごした一時期があるのよ。啄木は明治41年5月、北海道の放浪生活を経て、菊坂にあった下宿・赤心館に旧制盛岡中学以来の親友・金田一京助を頼って上京したのよ。そのわずか4ヶ月後には、また金田一京助の紹介で近くの新坂上の蓋平館本館の三階三畳半の部屋に移ったのよ。部屋に入ったとき「富士が見える、富士が見える」と大変よろこんだそうよ。蓋平館本館は旅館・太栄館として現在もあるわよ。

 かにかくに坂多き町鰯雲  熊谷彰子

江戸璃: やがて啄木は朝日新聞の校正係として定職を得て、春日通りに面した喜之床という新築間もない理髪店の二階二間を借り、久しぶりに家族そろって生活を始めたのよ。それは明治42年6月であったのね。5人家族を支えるための生活との戦い、嫁姑のいさかいに嘆き、疲れた心は望郷の歌となったのね。啄木の最もすぐれた作品の生れたのは、この喜之床時代と言われているわね。
都区次:喜之床は今もあるのですか?
江戸璃:喜之床は明治41年の新築以来、震災、戦災にも耐えて、東京で唯一の現存する啄木ゆかりの旧跡であったけど、春日通りの拡幅により昭和53年5月に解体・改築され、70年の歴史を閉じちゃったのよ。旧家屋は昭和55年明治村に移築され、往時の姿をとどめているわよ。


喜之床(明治村)










鰯雲赤門のあり喜之床も  長屋璃子(ながやるりこ)
本郷にビル建ち並び秋夕焼  山尾かづひろ 

尾鷲歳時記(90)

ああ食欲と読書欲
内山思考


穴を掘る男を秋の王となす  思考

卓上の秋の幸








炭焼が休みの日は原稿書きと夕方の新聞配達以外は「おさんどん」ならぬ「おっさんどん」である。朝、家族みんな出掛けてしまうと、洗濯やら何やら済ませて熱いコーヒーを入れ、机の前へ座る。それからCDの棚に目を遣る。今日はエーと…マイルス・デイヴィスにしよう(対抗馬はイヴ・モンタンとモーツァルトだった)。まず軽快に新聞のコラムを一つ書いて、買って置いた本を手に取る。

福岡伸一さんの近刊「ルリボシカミキリの青(文春文庫)」である。この人の著書にはハズレが無い。物書きには、難しいことをやさしく書く人と、わざわざ難しく書く人がいるような気がする。こちらの素養と興味の持ちようもあるだろうけれど、福岡さんの人柄が文面に現れているようで、一冊読むたびに楽しい講義を受けたような気がする。

しかし、もしも読書のルールがあるとしたら、僕は多分違反者だ。何せ早読みなのである。大抵は二時間ほどで読了する。高校時代、中里介山の「大菩薩峠」17巻を夜だけで約10日で読んだ。その中には徹夜も含まれる。それほど面白かったのだ。あの馬力が懐かしい。その後も読み飛ばす癖は治らない。でも、気に入れば座右に置いて何度でも目を通し、そのたびに新しい発見がある。そこが醍醐味と言えよう。

芋めし弁当、これにおかずがつく
右は息子用
ところで、「読む」のが早い人間は「噛む」のも早いという説は成り立たないだろうか? いやいや、それは僕だけかも。さて昼近くなった。何を食べようか。白いご飯もあるが、貰い物の秋の味覚がテーブルに沢山乗っている。それでもいいやという気がして来た。大きなサツマイモは芋めし用に取って置いて、あとは茹で芋にしよう。

二十分ほどで出来たホカホカを喉に詰めながらお茶で流し込めば古人(いにしえびと)になった気分である。あとは梨をかじり柿を噛み青ミカンを啜り、していると、「ただいま」の声。妻が帰って来たようだ。 「お父さん、弁当買って来たけど食べる?」「うん」思わず頷く僕であった。

私のジャズ(93)

エレクトリック マイルス
松澤 龍一

Miles Davis ON the corner 
(Sony SICP 845) 














上掲の写真はマイルス・デイヴィスの ON the Corner  と題されたCDケース(オリジナルはレコードジャケット)である。おおよそジャズの音盤に似つかわしくないポップ調のデザインに驚かされる。事実、中身はジャズでは無い。電気楽器によるロックである。マイルスが最後に到達したのはロックであった。ビバップの頃、大パーカーの後ろで恐る恐るトランペットを奏でることで、ジャズシーンに登場したマイルス・デイヴィス、この後、クールジャズにハードバップにと常にジャズの最先端を歩んできた。

「マイ ファ二― ヴァレンタイン」、「フォーアンドモア」、「イン ベルリン」、「イン トキョー」などの一連のライブ演奏でインプロヴァイザーとしての頂点を極めたマイルスが次に向かった先はエレクトリックロックであった。「マイルス イン ザ スカイ」に始まり「キリマンジャロの雪」、「オン ザ コーナー」、「ビッチェス ブリュー」、「ジャック・ジョンソン」と立て続けにロックのアルバムをリリースする。コルトレーンのフリージャズ化に加え、このマイルスのロック化がジャズと言う音楽の終焉だったと思うのだが。

マイルスの音楽活動では二つの頂点があった。一つはジョン・コルトレーン(テナーサックス)、レッド・ガーランド(ピアノ)、ポール・チェンバース(ベース)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ドラムス)とのクインテットで多くの演奏がプレスティッジに録音されている。二つ目はやはり60年代のライブ録音であろう。特に、新進ドラマーのト二―・ウィリアムスとの競演が素晴らしい。中でも「フォーアンドモア」は今聴いてもスリリングである。これがジャズの歴史に残る最良の演奏であると未だに信じる。

ロック化したマイルスで好きなのは「ジャック・ジョンソン」と言うアルバム。ジャック・ジョンソンとは最初の黒人人ヘビー級世界チャンピオンである。下記のユーチューブにマイルスの演奏をバックにその戦いぶりが画像で残されている。アップライトスタイルのジャック・ジョンソンに白人のボクサーが軽くあしらわれているのが面白い。