2013年2月24日日曜日

2013年2月24日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(112)
       山尾かづひろ  読む

■ 尾鷲歳時記(109)
       内山 思考   読む

俳枕 江戸から東京へ(112)

山手線・日暮里(その11)根岸
(上根岸88番地の家④)
文:山尾かづひろ 

古島一雄
(貴族院議員時代)













都区次(とくじ): 新聞『日本』の編集長・古島一雄は大学生の子規を気に入って、時事をよみ込んだ俳句をつくらせた。ということでした。俳句によって時勢を批評したものと思われますが、新聞『日本』にはこの種の時事評は初めてだったのですか?
江戸璃(えどり):新聞『日本』には漢詩や和歌による時事評がすでにあってね。そこへ子規の俳句時評が加わったわけよ。
都区次:新聞『日本』は雉子町(千代田区神田司町2丁目)にあったということですが、明治25年当時の付近の有名な名所は何ですか?
江戸璃: 北へ1キロ行ったところにニコライ堂があって、明治24年に完成しているから子規も知っていた筈よ。

ニコライの鐘の抑揚浅き春  冠城喜代子

都区次:ところで、この時点の上根岸88番地の家には庭はあったのですか?
江戸璃:庭があったとしても大家さんの持物で、後の子規庵の十坪の庭のように子規の自由にはならなかったと思うわよ。

ニコライ堂













冴返る子規徘徊の庭十坪  長屋璃子(ながやるりこ)
子規余命僅かと知りし冴返る 山尾かづひろ
 

尾鷲歳時記(109)

メテオライトラッシュ
内山思考


小惑星じゃがいもに似て夜の彼方  思考

ときどき手に取る
隕石の本













先日のロシアへの隕石落下のニュースには驚いた。生きている間にあんなことがあるなんて。しかも、すぐに沢山の動画が鮮明にテレビで見られるのだから、さすがIT社会である。僕の愛読書の一つ「隕石・宇宙からのタイムカプセル(F・ハイデ、F・ヴロッカ著)」は野上長俊訳 で平成八年に刊行されたものだが、その中には「隕石落下はめったにあるものでなく突発的であるため、結果として観測報告が不十分」で「記憶というものはあやふやだから次の項目に注意すべき」と、もし遭遇した場合の17にも及ぶ必要事項を提示している。

それは時間であり落下角度であり、数、音、光、臭いなどに注意し、落下地点に至ればなるべく多くの情報を収集せよといった具合である。これを最初に読んだ時にはそんなことあるわけないよな、と半ばSF小説でも読むような感覚だったが、実際にことが起きてみると、ああ現実の世界の話なんだと改めて思った次第。今回の負傷者のほとんどが、隕石落下による衝撃波で割れた窓ガラスの破片によるものらしいからそれに関しては、今後の注意点になるだろう。しかし、その今後とは明日なのか百年先なのか・・・。

16日早朝接近した小惑星は
なお真空の旅を
ところでこの事件の2日後が恒例の「風来」句会の日だった。周知の通り代表の和田悟朗さんは「宇宙俳人」だから句会に「地球」や「太陽」などがよく詠われる。騒動の後だから絶対に今日は投句の中に「隕石俳句」が落下するぞ、と考えた僕は自分も作ろう、と大台山中の羊腸の径を車で走りながら、頭を句作モードに切り換えた。で出来たのが

真空の旅を語れよ春の石  思考

凄まじい衝撃と共に砕け散った隕石が地表に静止した瞬間、それはもう地球上に転がっている「春の石」なのである。いったい彼はどこで生まれどんな過程を辿ってこんな辺鄙な惑星にやって来たのだろう。句会では和田さんがこの句に点を投じて下さった。僕は机の下で小さくガッツポーズをした。