2012年5月6日日曜日

2011年5月6日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(70)
        山尾かづひろ 読む

■ 尾鷲歳時記(67)                          
        内山  思考  読む

■ 私のジャズ(70)          
        松澤 龍一  読む

俳枕 江戸から東京へ(70)

古川流域/三田寺町(その3)
文:山尾かづひろ 

魚籃寺山門

















都区次(とくじ): そろそろ、お昼にしませんか?
江戸璃(えどり): それでは桜田通りをまっすぐ行って、店屋の多い魚籃坂下でお昼にしましょう。魚籃坂下はむかしから賑やかで、都電が走っていたころは品川駅を起点とした7系統は泉岳寺、魚籃坂下、古川橋、天現寺橋、霞町、権田原を経て、四谷三丁目が終点となっていてね。殊にこの魚籃坂下では、五反田からの4系統、目黒からの5系統が交差していたのよ。坂の上がり口にある大信寺に寄るわよ。このお寺には日本における三味線製作の始祖とされる石村近江累代の墓があるのよ。さらに魚籃坂を上っていくわよ。
都区次: 赤い山門がありますね。
江戸璃: これが魚籃観音を安置してある魚籃寺よ。お昼を食べたら拝んでいきましょう。












観音のおん手に魚籃夕薄暑  長屋璃子(ながやるりこ)
山門の丹(に)を潜りゆく白日傘  山尾かづひろ

尾鷲歳時記(67)

初夏の天地
内山思考

太陽の不思議を食べて葉桜に  思考


山は生命力に満ちている












キラキラと輝きながらゴールデンウイークが過ぎて行った。 尾鷲は週間の真ん中の5月1日、2日の平日だけが例の大雨で、メインの国道42号線が不通になった。よくあること、とまでは言わないが、一時間百ミリはさして珍しく無く、年間降水量で毎年、あの屋久島とトップ争いを繰り返している土地柄だから今回も「よー降るなあ」で済んでしまったのは幸いである。この雨がたっぷり行き渡ったらしく野山の新緑が一度に目に染みるようになった。

昨日、炭焼きのバイトで山の中へ備長炭の材料のバベ(ウバメガシ)を伐りに行って来た。メンバーは親方とFさんと僕。この木はあまり平坦地に生えてないので急斜面を登って行かねばならない。チェーンソーで切り倒して、枝を払い寸法にしたものを「ジグザグ」という野猿で道まで送ってトラックに積み込むわけだ。危険なので三方に別れてそれぞれに伐採をすることしばし。三機のチェーンソーがタイミングよく止むと「何時?」と親方の大きな声が降って来た。ケータイを見て 「10時でーす」と返すと「昼にしようかあ」…。

不思議なもので山仕事をすると異常に腹が減るのである。で結局この日も早弁となり後はしばし休憩。突如、轟々と飛行音が響き始めたので真っ青な空を仰ぐと、旅客機がゆっくり西へ飛んで行くのが見えた。親方も僕も寝っ転がったまま機影を目で追いながら「どこへ行くんやろ?」「沖縄かな」などと話していると、Fさんが「関空(かんく)と違いますか?」と言った。普段、物静かな彼の言葉だけに妙に説得力があり、ああなるほどあのコースならそうかも知れないと納得する。
金剛寺の鯉のぼり

目線を戻すと、左腕を蟻が疾走し、右腕では小さな毛虫が尺を取っている。こういう風に天地を身近に感じられるのが肉体労働の楽しさだと言えよう。「この頃、あまり鯉のぼり見ませんね」帰りの車の中でFさんが言った。そう言えばそうかな、走っているのは海沿いの集落でどこも過疎だから余計にそんな気がするのだろうか…。ふと、家の近くにある
金剛寺さんの鯉のぼりが、僕の脳裏で大きく身を翻(ひるがえ)した。

私のジャズ(70)

ロリンズ?
松澤 龍一

SONNY ROLLINS TOUR DE FORCE
 (prestige 7126)













ロリンズ? ソニー・ローリンズのことを粋がって、通ぶってそう呼んでいた。ちなみにマイルス・デイヴィスはデビスであった。ソニー・ローリンズ、紛れもなきモダン・ジャズの巨匠であるが、私がジャズを一番聴いていた60年代にはすでに過去の人になりかけていた。50年代の末に引退を表明してジャズ・シーンから姿を消す。

その後、ギターのジム・ホールを従えて「Bridge」というアルバムで再デビューするが、ニュー・ジャズとロック化が席捲していた60年代のジャズ・シーンにソニー・ローリンズの生きる場所は無かった。ソニー・ローリンズはあまりにソニー・ローリンズであり過ぎた。その完璧さゆえ、これを壊して別の何かを創造することができなかったのだろう。

細々と演奏活動は続けていたようである。Yutnbeには最近と思われる演奏が載っている。生まれは1930年なので、歳は80を超えている。目を覆い、耳を塞がんばかりの凋落ぶりである。やはり再デビューはして欲しくなかった。あのまま引退していて欲しかった。

上掲のアルバムを含め、彼が50年代にプレスティッジに吹き込んだ一連のアルバムは、どれをとってもジャズ史上に燦然と輝く金字塔である。サッチモをテナーで吹いたのがコールマン・ホ―キンスであれば、パーカーをテナーで吹いたのがソニー・ローリンズだ。パーカー並の高速パッセ―ジを軽々とテナーで吹く、そのテクニックには舌を巻く。

ドラムのマックス・ローチとのコラボも抜群で、正にジャズの醍醐味を心ゆくまで味あわせてくれる。50年代のプレスティッジへの吹き込みでは、例の「マック・ザ・ナイフ」(アルバムの曲名では「モリタート」)が有名だが、ここはコール・ポーターの It's alright with me  を聴いてみよう。マックス・ローチが素晴らしい。