2013年9月8日日曜日

2013年9月8日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(140)
       山尾かづひろ  読む

■ 尾鷲歳時記(137)
       内山 思考    読む

俳枕 江戸から東京へ(140)

山手線・日暮里(その40)
根岸(上根岸82番地の家(25)「子規庵」)
文:山尾かづひろ 

広島宇品港の句碑












都区次(とくじ):子規は松山の漱石の下宿「愚陀仏庵」に明治28年8月28日から10月17日までの52日間を逗留したわけですが、松山の三津浜港の久保田廻漕店の汽船待ち貸席に行ったのはいつですか?
江戸璃(えどり):「愚陀仏庵」での最終日の10月17日に三津浜に向かい、久保田廻漕店の貸席で送別句会を開いたのよ。翌18日の午後、柳原極堂ら10名が子規の帰京を見送りに来たけれど、汽船の到着が遅れて、見送り人は最終列車の時間がきて途中で帰っちゃったのよ。それで子規は「十一人一人になりて秋の暮」と心境を詠んだ訳。

翌朝の船出となりし鰯雲  佐藤照美

江戸璃:結局、子規は翌朝の10月19日に船に乗って広島の宇品港に着いたのよ。
都区次:何で宇品港だったのですか?
江戸璃:元々軍事輸送の拠点だったので鉄道への乗り換えが便利だったからでしょ。この宇品港は子規が従軍記者として大陸へ船出した港でもあり、子規の「行かばわれ 筆の花散るところまで」の句碑が建っているわよ。
都区次: ところで今日は日暮里からどこへ行きますか?
江戸璃: 月島へ行って「もんじゃ焼」でビールが飲みたくなった。
都区次: 行ってみましょう。

もんじゃ焼









もんじゃ通り左見右見(とみかうみ)して秋暑し 
長屋璃子(ながやるりこ)
煌々と商店街の秋ともし   山尾かづひろ

尾鷲歳時記(137)

高野山にて内山思考 

秋風や箸押し返す胡麻豆腐  思考 

杉の巨木を前に












妙長寺の青木ご夫妻と妻の四人で高野山に行って来た。僕だけは初めて訪れる聖地である。何度か来山経験のある妻によると、とにかくお墓が沢山あるところなのだそうだ。織田信長、豊臣秀吉を始めとする歴史上の偉人たちの供養塔が林立していて、それが歩いても尽きないというのである。

「ヘエ、そうなんや」 ハンドルを握りながら相槌を打ってはみるが、実際にその場に立って見ないことには、もう一つイメージが膨らまない。南方に台風がいるとかで少し怪しい空模様の下、車は熊野市で太平洋と別れてから延々と山の中を走りつづけた。それも一時間や二時間ではない。三時間以上経ってやっと「高野竜神スカイライン」に入ったくらいである。

そこからまだ走る。しかし、車内は思い出話や親父ギャグが飛び交って笑いが絶えない。そのうちにナビゲーションのお姉さんの声がしきりに「奈良県に入りました」「和歌山県に入りました」と繰り返すことに気がついた。ちょうどコースが両県の境界を北上する形になっていると見え、帰路に数え直すと、15キロほどの距離の間に奈良県コールが14回、和歌山県コールが15回もあったのには一同驚いたことだった。

やがて高野山に到着。夏期休暇も過ぎた平日だというのに参拝者が多く、外国人の姿も方々に見られ、さすがに名のある山だけのことはあると感じた。パンフレットによれば再来年(平成27年)は弘法大師が高野山を開創されてから1200年にあたるとかで、木立をなす巨大杉の幹の太さを見ればさもありなんと思わせる時空の深さである。

高野山土産と言えば僕にはコレ
僕たちはまずは奥の院に向かって歩き始めた。宗派こそ違え、青木上人はまた格別な思いに耽っているご様子だが、われわれのシンプルな質問にも丁寧に答えて下さる。お上人の「金剛峯寺の方へまいりましょうか」との声に「はい」と答えながら、実は僕は胡麻豆腐を早く食べたいな、と考えていた。