■ 俳枕 江戸から東京へ(244)
山尾かづひろ 読む⇒
■ 尾鷲歳時記(241)
内山 思考 読む⇒
2015年9月6日日曜日
俳枕 江戸から東京へ(244)
関口芭蕉庵
文:山尾かづひろ
江戸璃(えどり):早いわね、もう9月よ。また台風が来るでしょう。嫌になっちゃうわね。
錆釘に出番のありし野分かな 戸田喜久子
繰り返す大粒の雨台風来 柳沢いわを
都区次(とくじ):前回は上野公園で、
噴水の正面決めかねてをり 戸田喜久子
爽やかや路上ライブの揺るる影 白石文男
蓮ひらく抜きん出る気を持ち帰る 甲斐太惠子
時の鐘空腹を打つ池の秋 石坂晴夫
という景でした。今回はどこですか?
江戸璃:松尾芭蕉は延宝5年(1677)34歳で日本橋小田原町の借家に宗匠の看板を出したのだけれど、宗匠だけじゃ生活できなくて32歳からやっていた神田上水の掘削工事の事務職も平行して続けていたので、神田川の辺に居を構えていたわけ。それが関口芭蕉庵なのよ。
路地奥に菩薩の在す竹の春 戸田喜久子
天日の洩れくるところ芭蕉林 松本光生
高々と破れて吹かるる芭蕉かな 柳沢いわを
江戸璃:若き日の芭蕉に会いたくなったので、私の独断と偏見で関口芭蕉庵へ行くわよ。
椎の実の胸突坂を転げ来る 白石文男
ひっそりと秋日の中の水神社 白石文男
秋蝉の声を零して土塀外 石坂晴夫
関口芭蕉庵へは東京メトロ有楽町線の江戸川橋駅から歩く方法とJR目白駅からバスで目白台3丁目まで行って歩く方法とあるけれど、目白台3丁目から行った方が胸突坂や水神社を通ったりして風情があるのよ。
秋冷やみちのく遠し芭蕉庵 忠内真澄
破芭蕉ゆさゆさ揺れて雲往かす 近藤悦子
秋暑し土塀に映ゆる日の翳り 油井恭子
芭蕉堂蜻蛉くつろぐ静寂かな 甲斐太惠子
芭蕉林ゆれて太古の風捉ふ 高橋みどり
秋の蚊は我が血を腹に芭蕉句碑 石坂晴夫
湧水の瓢箪池に秋の蝶 白石文男
江戸璃:関口芭蕉庵の左隣が椿山荘なので帰りに甘味処へ寄ってゆくわよ。
簷深く秋暑潜めり芭蕉堂 長屋璃子
秋口や仲居求むと貼られあり 山尾かづひろ
文:山尾かづひろ
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芭蕉林 |
江戸璃(えどり):早いわね、もう9月よ。また台風が来るでしょう。嫌になっちゃうわね。
錆釘に出番のありし野分かな 戸田喜久子
繰り返す大粒の雨台風来 柳沢いわを
都区次(とくじ):前回は上野公園で、
噴水の正面決めかねてをり 戸田喜久子
爽やかや路上ライブの揺るる影 白石文男
蓮ひらく抜きん出る気を持ち帰る 甲斐太惠子
時の鐘空腹を打つ池の秋 石坂晴夫
という景でした。今回はどこですか?
江戸璃:松尾芭蕉は延宝5年(1677)34歳で日本橋小田原町の借家に宗匠の看板を出したのだけれど、宗匠だけじゃ生活できなくて32歳からやっていた神田上水の掘削工事の事務職も平行して続けていたので、神田川の辺に居を構えていたわけ。それが関口芭蕉庵なのよ。
路地奥に菩薩の在す竹の春 戸田喜久子
天日の洩れくるところ芭蕉林 松本光生
高々と破れて吹かるる芭蕉かな 柳沢いわを
江戸璃:若き日の芭蕉に会いたくなったので、私の独断と偏見で関口芭蕉庵へ行くわよ。
椎の実の胸突坂を転げ来る 白石文男
ひっそりと秋日の中の水神社 白石文男
秋蝉の声を零して土塀外 石坂晴夫
関口芭蕉庵へは東京メトロ有楽町線の江戸川橋駅から歩く方法とJR目白駅からバスで目白台3丁目まで行って歩く方法とあるけれど、目白台3丁目から行った方が胸突坂や水神社を通ったりして風情があるのよ。
秋冷やみちのく遠し芭蕉庵 忠内真澄
破芭蕉ゆさゆさ揺れて雲往かす 近藤悦子
秋暑し土塀に映ゆる日の翳り 油井恭子
芭蕉堂蜻蛉くつろぐ静寂かな 甲斐太惠子
芭蕉林ゆれて太古の風捉ふ 高橋みどり
秋の蚊は我が血を腹に芭蕉句碑 石坂晴夫
湧水の瓢箪池に秋の蝶 白石文男
江戸璃:関口芭蕉庵の左隣が椿山荘なので帰りに甘味処へ寄ってゆくわよ。
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土塀 |
簷深く秋暑潜めり芭蕉堂 長屋璃子
秋口や仲居求むと貼られあり 山尾かづひろ
尾鷲歳時記(241)
秋思いろいろ
内山思考
部屋に来て唄うイヴ・モンタンも秋 思考
立秋は八月でもやっぱり秋は九月からだよなあ、と今年も九月に入って実感している。その証拠に朝の日差しがどことなく濃い、トンボも飛んでいるし、一緒にタネも飛んで来たのか鶏頭が庭先のコンクリートの隅に小さな鶏冠を立てている。
小さなラジカセから漂うシャンソンがこの季節に似合うと思うのは、スタンダードの「枯葉」の影響だろうが、俳句の季語では枯葉は冬、こだわるつもりは無いけれど何だかややこしい。梨や葡萄、いわゆる秋果が朝のテーブルに頻繁に乗るようにもなった。林檎と柿の便りもその内に、などと考え、ああ食べることはなんて素晴らしいんだとうっとりしていたら「内山さーん宅配便です」の声がする。
小さな包みの中は柿衞文庫から届いた「俳句史研究第22号」だった。十冊あるのは、昨年十月二十五日に僕が話した「北山河・人と作品」の講義録が掲載されているから。ふと和田悟朗さんを思った。去年の夏だったか「先生、僕ね、柿衞文庫で北山河の話をするんです」と言うと和田さんは「ああそう、思考さんの話は面白いからな」と笑ってから「でもボク行けるかなあ?」と首をかしげた。
健脚だった和田さんもその頃は足腰がずいぶん弱っていたのである。もし聞きに来ていただけるなら送り迎えさせて貰います、そうだね、の会話の翌月「ちょっと無理やね」と微笑まれたので、「大丈夫、先生、記録が冊子になりますからそれ読んで下さい」「ああそうだな」。
で、この世の時間は真顔で過ぎて手元にその一冊がある。大きくため息をついて僕は、パラパラリとめくった4 4頁からゆっくり目を通し始めた。『北山河を語る時、まず僕の祖父である「田花房吉」旧姓「後木房吉」について語らねばなりません。房吉は明治26年、奈良県吉野郡十津川村大字那智合に生まれました。北山河も同じ26年生まれですから二人は同級生ということになります…』
内山思考
部屋に来て唄うイヴ・モンタンも秋 思考
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俳句史研究・第22号 |
立秋は八月でもやっぱり秋は九月からだよなあ、と今年も九月に入って実感している。その証拠に朝の日差しがどことなく濃い、トンボも飛んでいるし、一緒にタネも飛んで来たのか鶏頭が庭先のコンクリートの隅に小さな鶏冠を立てている。
小さなラジカセから漂うシャンソンがこの季節に似合うと思うのは、スタンダードの「枯葉」の影響だろうが、俳句の季語では枯葉は冬、こだわるつもりは無いけれど何だかややこしい。梨や葡萄、いわゆる秋果が朝のテーブルに頻繁に乗るようにもなった。林檎と柿の便りもその内に、などと考え、ああ食べることはなんて素晴らしいんだとうっとりしていたら「内山さーん宅配便です」の声がする。
小さな包みの中は柿衞文庫から届いた「俳句史研究第22号」だった。十冊あるのは、昨年十月二十五日に僕が話した「北山河・人と作品」の講義録が掲載されているから。ふと和田悟朗さんを思った。去年の夏だったか「先生、僕ね、柿衞文庫で北山河の話をするんです」と言うと和田さんは「ああそう、思考さんの話は面白いからな」と笑ってから「でもボク行けるかなあ?」と首をかしげた。
健脚だった和田さんもその頃は足腰がずいぶん弱っていたのである。もし聞きに来ていただけるなら送り迎えさせて貰います、そうだね、の会話の翌月「ちょっと無理やね」と微笑まれたので、「大丈夫、先生、記録が冊子になりますからそれ読んで下さい」「ああそうだな」。
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北山河俳画集 |
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