2013年10月20日日曜日

2013年10月20日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(146)
       山尾かづひろ  読む

■ 尾鷲歳時記(143)
       内山 思考    読む

俳枕 江戸から東京へ(146)

山手線・日暮里(その46)
根岸(上根岸82番地の家(30)「子規庵」)
文:山尾かづひろ 

明治28年東京・法務省










都区次(とくじ):さて、子規は日清戦争の従軍記者としての帰途、船中にて喀血し、須磨保養院や松山などで療養し明治28年10月31日に東京へ帰って来ました。そのとき行った活動は何ですか?
江戸璃(えどり):新聞『日本』に『俳諧大要』を連載したことね。
都区次:連載の時期はいつですか?
江戸璃:明治28年10月22日から12月31日までの27回よ。
都区次:ということは原稿はすでに出来上がっていたということですか?いつ書いたのですか?

松山で書いた原稿蔦紅葉 冠城喜代子

江戸璃:子規は須磨保養院で療養した後、松山の夏目漱石の下宿「愚陀仏庵」に居候していたわね。そのときに原稿を書いたのよ。
都区次: 内容的にはどんなものですか?タイトルからして俳論集のようなものと想像はつきますが。
江戸璃:大当たりよ。子規はその類のものは『獺祭書屋俳話(だっさいしょおくはいわ)』として明治25年6月26日から10月20日まで38回連載したことがあるのよ。この連載は多くの読者を獲得したけれど、俳壇的・文壇的な反響はまったく無かったのね。この連載は俳諧評論の書で子規の俳句観が十分に披瀝されなかったのね。そこで子規は再び新聞『日本』紙上に筆を執って、『俳諧大要』を明治28年10月22日から12月31日まで27回連載したのよ。             
                  

都区次:ところで今日は日暮里からどこへ行きますか?
江戸璃:浜離宮へコスモスを見に行かない?帰りに新橋の飲み屋でハイボールを飲もうよ。

浜離宮のコスモス










吹く風の時に潮の香秋桜  長屋璃子(ながやるりこ)
コスモスに届く船笛風の道 山尾かづひろ

尾鷲歳時記(143)

ジュンク堂とウララ
内山思考

秋の山互いに仕事輝かせ  思考 

四十年以上乗っているS子さんの
愛車カリーナ・左ハンドル









那覇の国際通り近くにあるジュンク堂はとてつもなく大きなブックストアである。在庫120万冊と案内パンフに書いてあったから「本屋さん」という呼び方は何だか似合わないような気がする。最初、沖縄に来た際は近くのホテルを利用していたので、夕食の後に必ず立ち寄って眼福アンド獺祭書欲?を満喫していたのだが、少し離れたアパート住まいになってからは夫婦一緒に車で行動するようになり、気軽に立ち寄れなくなってしまった。妻はイラチだから待たされるのが嫌いなのだ。こちらも待たせていると思うと落ち着かないし。でも、尾鷲に帰る前日、買い物がしたいというので、一時間ほど別行動することにした。

僕は真っ直ぐジュンク堂を目指し、二階の沖縄関連本のコーナーへ向かった。コーナーといっても戦争、基地問題、教育、島々の文化、芸能、民俗など分野が多岐に渡っていて普通の町の書店ぐらいの広さがある。本当はじっくり腰を据えて気に入ったものを吟味したいのだが、本屋で過ごす時間は浦島太郎並みに早く過ぎる。僕は「嘉手苅林昌」のCD(も売っている)と「山之口貘沖縄随筆集」を買って表へ出た。実はもう一軒立ち寄りたいところがあるのだ。

それは「市場の古本屋ウララ」である。何でも、ジュンク堂那覇店の元書店員の女性が、二年ほど前、牧志公設市場の向かいの小さなスペースで古本屋を始め話題になっているらしい。その店主の名は宇田智子さんといい、エッセイを書いたりもしているようだ。国際通りを横切ってアーケードをしばらく行くとその店はあった。
名高い霊地
斎場御嶽(セーファウタキ)
確かに狭い。周りの店の色彩に溶け込んでいて通り過ぎてしまいそうになったぐらいだ。ショートヘアの若い女性が開店の準備をしている。「見せて貰ってもいいですか?」と問うと「そちらの方なら…」本を整理しながら彼女(宇田さん)が左側の棚を手で示した。僕は細長い空間に横に身を入れ、一番上の列を見上げようとして後頭部を壁にぶつけた。「イテッ」