2014年4月6日日曜日

2014年4月6日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(170)
       山尾かづひろ  読む

■ 尾鷲歳時記(167)

       内山 思考    読む

俳枕 江戸から東京へ(170)

山手線・田町(その1)
文:山尾かづひろ 挿絵:矢野さとし

慶応義塾大学図書館






















都区次(とくじ):前回は田端の東覚寺でしたが、今日はどこへ案内してくれますか?

高台の坂に吹かるる花の塵  大森久実

江戸璃(えどり):今回も大矢白星師に案内してもらった場所だけれど、田端駅から山手線に乗って田町駅に行くわよ。今度は三田方面に行きたくなったので、駅前の慶応仲通りを抜けて慶応義塾大学の中を散策して、大学正門から国道一号を横切って潮見坂に行くわよ。標柱には「坂上から芝浦の海辺一帯を見渡し、潮の干満を知ることが出来たため、この名がつけられた」と書かれてある通り潮見坂は海に近くて、まさに芝浦沖が一望であったと思われるわね。現在では埋め立ても進み、高層ビルも林立して海の片鱗すら望めないわね。ここばかりではないわよ、すべての潮見坂が海の見えない潮見坂になってしまったのは残念至極よね。坂上の香川県育英会東京学生寮の庭を抜けさせてもらって裏手へ回れば、そこが安全寺坂の坂上になっているわね。坂の標柱があって「坂の西に江戸時代のはじめ安全寺があった。誤って安珍坂、安楽寺坂、安泉寺坂などと書かれた。」と書かれてあってね。この坂のつづきに、蛇坂という標柱のある坂があるけれど、安全を安珍と読み違え、蛇坂の蛇とからめて安珍清姫に結び付けた説もあるらしいわね。左手に普連土学園の校舎を仰ぎ、右手に宝生院や大聖院の墓地を見下ろしてゆく細道は、夏の暑い時分なら蛇が這い出してもおかしくないような崖地に沿っているわね。
都区次:日が暮れてきましたが今日はどこへ行きますか?
江戸璃:今日は暑いわね。慶応仲通りの中華レストランのピータンと焼売でビールが飲みたくなっちゃった。
都区次:いいですね。行きましょう。

普連土学園











路地にまた路地あり花の昼闌くる  長屋璃子
吹き上がる飛花のきらめき三田台地  山尾かづひろ

尾鷲歳時記(167)

春の夢、花の記憶 
内山思考 


花前線数多の画面和田悟朗  思考

姉の住む桑名も花どころ









冒頭の句は十年、いやもっと前になるだろうか、和田さんがNHKTVの「俳壇」にゲストとして出演した折に、一体この番組を全国で何人が見ているだろう、と考えて作ったものだ。講師は宇多喜代子さんだったろうか。内容はすべて忘れてしまったが、この句のおかげで「ああ花時だったんだな」と毎年今時分になると思い出す。僕の句で和田さんの出演作はもう一つあってそれは

和田悟朗の乗りし電車を奈良が引く  思考

というものだ。こちらは「白燕」がまだ刊行されていた時代(やっぱり二十年近い昔)で、その頃神戸での句会が終わると僕と和田さんは環状線の鶴橋駅まで一緒に乗って来て近鉄のホームへ降り、和田さんは奈良方面の快速に乗り換える、僕は本数の少ない賢島鳥羽線で松阪行きなので大抵それを見届けるというのが常だった。前の駅の上本町から電車が勢いよくホームへ滑り込んで来ると、「じゃあ」と和田さんは手を挙げて他の乗客と共に車中の人となる。

僕はまだ何か話し足りない気持ちを胸にモヤモヤさせながら、「先生、有り難う御座いました。また来月お会いいたします」と最敬礼。窓が閉まり和田さんの笑顔が流れ去って行くのを寂しく思いながら、自分自身のムードを帰宅モードへと変換するのであった。ご存知の方もあろうが、近鉄奈良線は難波から真東の生駒山系まで延々と一直線なのである。

ちょっと遠慮がちに咲くパンジー
で、麓をやや斜めにグイグイ登って長いトンネルを抜けると生駒から奈良市までまた真っ直ぐ。まさに和田さんの乗った電車は奈良そのものに引っ張られて走っていると感じられた。どちらの句も思い出してはよく口ずさむ。反対に、和田さんが作ってくださった思考登場句もあるのが嬉しい。それは

獺祭忌鷗外にも似る思考にて 悟朗 (風来第16号掲載)

で似ているのが外見だけだとわかっていても、やはり嬉しいものである。だから僕は感激して

鷗外と子規に挟まれ薬喰  思考

と詠んだ。