■ 俳枕 江戸から東京へ(245)
山尾かづひろ 読む⇒
■ 尾鷲歳時記(242)
内山 思考 読む⇒
2015年9月13日日曜日
俳枕 江戸から東京へ(245)
栃木県那須烏山市の簗
文:山尾かづひろ
江戸璃(えどり):早いわね、今月の8日は白露だったのよ。
都区次(とくじ):前回は関口芭蕉庵で、
句碑の陰幽けき声の昼の虫 白石文男
破芭蕉なんと良い風そぞろ歩む 甲斐太惠子
さ緑に透きくる日差し竹の春 柳沢いわを
という景でした。今回はどこですか?
落鮎のごとき晩年とも思ふ 戸田喜久子
江戸璃:そろそろ落鮎の観光簗が始まるわね。十年ほど前に大矢白星師に栃木県那須烏山市の簗へ案内してもらった時は宇都宮まで新幹線で行って、ローカル線の烏山線に乗り換えて滝駅で下車して「竜門の滝」と榧(かや)の実と蛇姫様の墓のある「太平寺」を午前中まで見てね、午後に観光簗へ行ったのよ。
赤蜻蛉改札口のなき駅に 小川智子
榧の実や蛇姫様の墓を守る 小川智子
ぎしぎしと渡る仮橋簗場へと 大矢白星
下り簗かけて一水大曲 大矢白星
落鮎のもんどりうって手の中に 小林道子
下り簗に親指ほどの鯰かな 蓮見勝朗
落鮎を焼く鉢巻きのタオルかな 小川智子
下り簗眺め生簀の鮎を食ぶ 蓮見勝朗
下り簗地酒は東力士とか 黒沼たけし
江戸璃:というわけで、落鮎の美味いのを食べたくなったので、私の独断と偏見で栃木県那須烏山市の下り簗へ行くわよ。
白波の脛打つ流れ下り簗 白石文男
那珂川の流れ豊かに鮎落つる 白石文男
行き先を知るか知らずか落鮎よ 忠内真須美
下り簗魚跳ね踊る床の上 石坂晴夫
落鮎やオリーブ色の鰭をもつ 甲斐太惠子
日隠れば所在なげなる下り簗 近藤悦子
飛沫にも疲れの見えて下り簗 高橋みどり
下り鮎仄と香のたつ炭火焼 油井恭子
江戸璃:行きは新幹線を使ったけれど、帰りは時間的制約がないので在来線で帰るわよ。
ささくれに歴史思へり下り簗 長屋璃子
栃木路にかりがねの空ありにけり 山尾かづひろ
文:山尾かづひろ
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下り簗 |
江戸璃(えどり):早いわね、今月の8日は白露だったのよ。
都区次(とくじ):前回は関口芭蕉庵で、
句碑の陰幽けき声の昼の虫 白石文男
破芭蕉なんと良い風そぞろ歩む 甲斐太惠子
さ緑に透きくる日差し竹の春 柳沢いわを
という景でした。今回はどこですか?
落鮎のごとき晩年とも思ふ 戸田喜久子
江戸璃:そろそろ落鮎の観光簗が始まるわね。十年ほど前に大矢白星師に栃木県那須烏山市の簗へ案内してもらった時は宇都宮まで新幹線で行って、ローカル線の烏山線に乗り換えて滝駅で下車して「竜門の滝」と榧(かや)の実と蛇姫様の墓のある「太平寺」を午前中まで見てね、午後に観光簗へ行ったのよ。
赤蜻蛉改札口のなき駅に 小川智子
榧の実や蛇姫様の墓を守る 小川智子
ぎしぎしと渡る仮橋簗場へと 大矢白星
下り簗かけて一水大曲 大矢白星
落鮎のもんどりうって手の中に 小林道子
下り簗に親指ほどの鯰かな 蓮見勝朗
落鮎を焼く鉢巻きのタオルかな 小川智子
下り簗眺め生簀の鮎を食ぶ 蓮見勝朗
下り簗地酒は東力士とか 黒沼たけし
江戸璃:というわけで、落鮎の美味いのを食べたくなったので、私の独断と偏見で栃木県那須烏山市の下り簗へ行くわよ。
白波の脛打つ流れ下り簗 白石文男
那珂川の流れ豊かに鮎落つる 白石文男
行き先を知るか知らずか落鮎よ 忠内真須美
下り簗魚跳ね踊る床の上 石坂晴夫
落鮎やオリーブ色の鰭をもつ 甲斐太惠子
日隠れば所在なげなる下り簗 近藤悦子
飛沫にも疲れの見えて下り簗 高橋みどり
下り鮎仄と香のたつ炭火焼 油井恭子
江戸璃:行きは新幹線を使ったけれど、帰りは時間的制約がないので在来線で帰るわよ。
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炭火焼 |
ささくれに歴史思へり下り簗 長屋璃子
栃木路にかりがねの空ありにけり 山尾かづひろ
尾鷲歳時記(242)
拍手のお稽古
内山思考
皿の上秋刀魚ようやく個となりぬ 思考
「お宝」という言葉は昔からあるようだが、市井に眠っている書画や美術、骨董品全般を押し並べてそう呼ぶようになったのは、1994(平成6)年4月から始まったテレビ番組「開運!なんでも鑑定団」の影響だろう。同番組で鑑定士としての人気を不動のものにした中島誠之助氏の「いい仕事してますねー」の決めぜりふを聞くと、みすぼらしかった古壺が画面の中で急にオーラを放つのだから不思議なものである。番組を見ていて子や孫に「この家にもお宝ないの?」と聞かれ、ウーンと首をかしげた人は全国にごまんと居るはずだ。「家族が宝物や」「そんなんと違うの」 と話題が進まないのは、ある意味幸せな証拠でもあろう。
さて先日、「鑑定団」を客席で見る機会を得た。番組にはスタジオを出て地方に出張するコーナーがある。隣の熊野市でその収録があり青木健斉上人の知人が出場するという。一緒に応援に行きませんかと誘われ、僕と惠子は大いに喜んで承諾した。当日は生憎の雨だったが、上人手作りの横断幕を持って会場入り、一応は関係者ということで控室に入れて貰った。
出品者は六名、それぞれのテーブルで取り巻きに囲まれ緊張の面持ちである。スタッフが一人づつ番組の進行について打合せ、僕たちが応援する浜中さんは、母親がお嫁入りの際に持参した赤絵の大皿を出すのだそうだ。健康志向なのか血圧計持参である。やがて一同は満員の会場内へ出陣、前から2列目に並んで座り横断幕を上げるタイミングを小声で話し合う。
事前にマエセツのお兄さんにさんざん拍手の練習をさせられたあと、舞台に先生方と司会、アシスタントが登場していよいよ本番開始。大声援に送られてカメラの前に立ったトップバッターの浜中さんの手首を見ると、なんと先ほどのハンディタイプの血圧計が。「何ですかこれ?」思わず突っ込む司会者に「血圧が心配で」とボケる浜中さん、かくして「出張鑑定団イン熊野」は爆笑と共に始まったのであった。
内山思考
皿の上秋刀魚ようやく個となりぬ 思考
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控室で浜中さんと |
「お宝」という言葉は昔からあるようだが、市井に眠っている書画や美術、骨董品全般を押し並べてそう呼ぶようになったのは、1994(平成6)年4月から始まったテレビ番組「開運!なんでも鑑定団」の影響だろう。同番組で鑑定士としての人気を不動のものにした中島誠之助氏の「いい仕事してますねー」の決めぜりふを聞くと、みすぼらしかった古壺が画面の中で急にオーラを放つのだから不思議なものである。番組を見ていて子や孫に「この家にもお宝ないの?」と聞かれ、ウーンと首をかしげた人は全国にごまんと居るはずだ。「家族が宝物や」「そんなんと違うの」 と話題が進まないのは、ある意味幸せな証拠でもあろう。
さて先日、「鑑定団」を客席で見る機会を得た。番組にはスタジオを出て地方に出張するコーナーがある。隣の熊野市でその収録があり青木健斉上人の知人が出場するという。一緒に応援に行きませんかと誘われ、僕と惠子は大いに喜んで承諾した。当日は生憎の雨だったが、上人手作りの横断幕を持って会場入り、一応は関係者ということで控室に入れて貰った。
出品者は六名、それぞれのテーブルで取り巻きに囲まれ緊張の面持ちである。スタッフが一人づつ番組の進行について打合せ、僕たちが応援する浜中さんは、母親がお嫁入りの際に持参した赤絵の大皿を出すのだそうだ。健康志向なのか血圧計持参である。やがて一同は満員の会場内へ出陣、前から2列目に並んで座り横断幕を上げるタイミングを小声で話し合う。
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関西圏は9月29日放映 |
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