2013年12月1日日曜日

2013年12月1日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(152)
       山尾かづひろ  読む

■ 尾鷲歳時記(149)
       内山 思考    読む

俳枕 江戸から東京へ(152)

山手線・日暮里(その52)
根岸(上根岸82番地の家(36)「子規庵」)
文:山尾かづひろ 

富士見坂













都区次(とくじ):江戸璃さん、前回の浄光寺では面白かったとの声が届いているので、大矢白星師に案内されたその他の「谷根千」の吟行コースを出来る限り思い出して歩いてもらえませんか?

冬の富士見えるか否か富士見坂  吉田ゆり

江戸璃(えどり):いいわよ。それでは浄光寺の先の富士見坂へ行くわよ。その日以前にはなかったという荒川区教育委員会の「坂下の北側の墓地は日蓮宗妙隆寺(修性院に合併)の跡。妙隆寺が花見寺と呼ばれたことから、この坂も通称花見坂または妙隆寺と呼ばれた。都内各地に残る富士見と称する坂名の中で、現在でも富士山を望むことが出来る坂である」と書かれた立て札があって、白星師が一行に大きな声で、こうは書いてあるが、今では本郷台の建物の関係もあり、富士山は見えないのではないか、と話したのよ。そうしたら側で民家の建築をしていた大工さんが足場から降りてきて「今日はこんなに霞んでますからダメですけど、あの向うの高いビルの左側に、見える日には見えるんですよ」と言うわけよ。それで打ち仰いだら、街路灯の飾りに富士山の形が切り込んであったから見える日があったのでしょうね。今日現在も街路灯の飾りに富士山の形が切り込んであるから今も見えるのでしょう。
都区次:江戸璃さんは先ほど浄光寺の隣の「諏訪台ひろば館」へ入って行きましたが何を聞いていたのですか?
江戸璃:太陽が富士の頂に沈むときの輝きを「ダイヤモンド富士」と言うそうなのだけれど、この富士見坂でも1月下旬(29日~31日頃)と11月中旬(11日~13日頃)の年2回、富士山の頂に太陽が沈むのを見ることができて、日本中から人が集まるそうよ。
 

富士山の切り込み










冬の灯の点るは早し小あきなひ  長屋璃子(ながやるりこ)
富士山のありし方向冬夕焼    山尾かづひろ

尾鷲歳時記(149)

賀状書く
内山思考

極月の時は矢数の矢の如く  思考

父、實の愛用品は今も現役








小さな原稿を一つ書いて、少し風邪気味なので寝てしまおう、と思考力をOFFにしかけたが、そろそろ年賀状を書き始めないと日にちが無くなるな、と思い直し買ってあった賀状の束を机の上に置いた。まずは「謹賀新年」の丸いスタンプを全てに押す。もとはインク内蔵型なのだが、とっくの昔に切れてしまっているので、一回づつ赤いスタンプ台に乗せてから、賀状の右上にヨイショと押し付ける。

ムラ多し。これは父が生前に愛用していたものだから、三十数年前の代物だ。あと天眼鏡も父の持ち物を使っている。思えば来年僕は父の年に並んでしまうわけだ。中身は子供のままなのに、地球で生活する年月は父と同じというのは不思議な心持ちである。お父ちゃんはどんな声だったのかなあ。などとしばらく感慨にふけってから、今度は干支のイラストをどういった感じにしようかと思案する。なるべく少ない線で簡単にかける「ウマ」を模索、毎年これが楽しみと言えば楽しみでもある。

ウマに見える?と妻に聞いたら
「うん」と言った
で思いついたのが、写真のもの。これだと一頭を八秒で書ける。しかし線の強弱や長短で顔つきがまるで違ってしまうから、気が抜けない。一つのキャラクターを幾通りも書き分けるマンガ家たちは、素晴らしい才能の持ち主なのである。百数十頭の馬を書き終わったのが10時半、あとは宛名書きと俳句と相手に合わせたコメントをしたためるだけ、それは時間を見つけてちょっとづつ減らしていけばいい。

年頭の俳句も以前は枚数の分だけ考えていたけれども、エネルギーの消耗が激しいので近年はやらない。大矢数をこなしていたのは四十代前半だったから、その頃の体力にはとても及ばないということだ。賀状を書こうとする度に浮かぶ一句がある。

賀状書く気力体力もて眠る  悟朗

和田悟朗さんも今頃きっと賀状の俳句を考えておられるに違いない。それとももう出来上がって他の仕事を・・・、ああ、眠くなって来た。