2013年12月1日日曜日

尾鷲歳時記(149)

賀状書く
内山思考

極月の時は矢数の矢の如く  思考

父、實の愛用品は今も現役








小さな原稿を一つ書いて、少し風邪気味なので寝てしまおう、と思考力をOFFにしかけたが、そろそろ年賀状を書き始めないと日にちが無くなるな、と思い直し買ってあった賀状の束を机の上に置いた。まずは「謹賀新年」の丸いスタンプを全てに押す。もとはインク内蔵型なのだが、とっくの昔に切れてしまっているので、一回づつ赤いスタンプ台に乗せてから、賀状の右上にヨイショと押し付ける。

ムラ多し。これは父が生前に愛用していたものだから、三十数年前の代物だ。あと天眼鏡も父の持ち物を使っている。思えば来年僕は父の年に並んでしまうわけだ。中身は子供のままなのに、地球で生活する年月は父と同じというのは不思議な心持ちである。お父ちゃんはどんな声だったのかなあ。などとしばらく感慨にふけってから、今度は干支のイラストをどういった感じにしようかと思案する。なるべく少ない線で簡単にかける「ウマ」を模索、毎年これが楽しみと言えば楽しみでもある。

ウマに見える?と妻に聞いたら
「うん」と言った
で思いついたのが、写真のもの。これだと一頭を八秒で書ける。しかし線の強弱や長短で顔つきがまるで違ってしまうから、気が抜けない。一つのキャラクターを幾通りも書き分けるマンガ家たちは、素晴らしい才能の持ち主なのである。百数十頭の馬を書き終わったのが10時半、あとは宛名書きと俳句と相手に合わせたコメントをしたためるだけ、それは時間を見つけてちょっとづつ減らしていけばいい。

年頭の俳句も以前は枚数の分だけ考えていたけれども、エネルギーの消耗が激しいので近年はやらない。大矢数をこなしていたのは四十代前半だったから、その頃の体力にはとても及ばないということだ。賀状を書こうとする度に浮かぶ一句がある。

賀状書く気力体力もて眠る  悟朗

和田悟朗さんも今頃きっと賀状の俳句を考えておられるに違いない。それとももう出来上がって他の仕事を・・・、ああ、眠くなって来た。