2015年9月27日日曜日

2015年9月27日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(247)
       山尾かづひろ  読む

■ 
尾鷲歳時記(244)
       内山 思考    読む

俳枕 江戸から東京へ(247)

谷津干潟
文:山尾かづひろ
挿絵:小倉修子  

切絵 鴛鴦













都区次(とくじ):先日の9月19日は子規忌でしたね。

新聞の端に友の句獺祭忌 戸田喜久子

江戸璃(えどり):それで大矢白星師は子規にゆかりのある谷根千を吟行してきたそうよ。

秋暑し千体地蔵みな欠けて   小川智子
顔欠けし地蔵あちこち秋暑し  梅山勇吉
色皿に初鴨料理ぺぺルモコ   梅山勇吉
秋涼し昼の贅沢フルコース   小林道子
大楠に添ふ泥舟碑秋めきぬ   窪田サチ子
秋日濃し泥舟墓に樟大樹    梅山勇吉
門柱にゑのこ草生ゆ赤字坂   寺田啓子
根津教会十字架の果て昼の月  窪田サチ子
四軒長屋隣る教会根津の秋   小林道子
四軒長屋隣る教会郁子実る   小川智子

都区次(とくじ):前回は浜離宮でした。今回はどこですか?

上げて来し秋潮に乗り跳ねるもの  柳沢いわを

江戸璃:浜離宮で鷺類を見ていたら谷津干潟へ行きたくなったのよ。谷津干潟は大正年間までは塩田として使われ、その後、京成電車の娯楽施設「谷津遊園」として転用され、東京デイズニーランドができるまでは東京の人の便利な娯楽施設だったのね。潮干狩、海水浴をした後、大観覧車、海上ジェットコースター等で日没まで大遊びをすると言うパターンがあったのよ。潮干狩、海水浴の干潟は他の東京湾の干潟と同様工業団地として埋立が計画されたけれど、渡り鳥の飛来地として再認識。先進国の自然保護の象徴として残すことを決定。今に続いているわけ。言ってみれば貴重な存在よね。というわけで谷津干潟へ行くわよ。

立つ鴫や町を離るることならず  高橋みどり
高鴫の膝折り歩む干潟かな    近藤悦子
鴫立てり波のまにまを影揺るる  甲斐太惠子
白昼の干潟に鴫の舞ひ降りぬ   白石文男
谷津干潟沙蚕を垂らす鴫の嘴   石坂晴夫
秋の鷺沈思黙考立ちつくす    油井恭子
渡り鳥干潟を後に呼吸はげし   甲斐太惠子
渡り鳥干潟に影をこぼしけり   白石文男
鯊の穴蝦が見張て睨みをる    石坂晴夫
秋干潟靴濡らしつつ鳥待てり   忠内真須美 
秋晴や谷津の干潟に鳥の影    白石文男

江戸璃:行きはJRの船橋経由で来たけれど、帰りは京成電車の通勤特急で直接帰るわよ。

鳥達の干潟染め上げ秋夕陽   長屋璃子
秋夕焼干潟染め行く塒かな   山尾かづひろ

尾鷲歳時記(244)

三年三組参集す 
内山思考 

敬老の日の忙しき口と胃と  思考 

彼の店に集合












としこさんみどりさんたちの肝煎りで、高校時代のクラス会をすることになった。話を聞いた時はずいぶん先だと思ったのに早くも当日、車で一時間ほど走ってまさしくんの店へ到着し、すでにご馳走の並んだ二階の広間で待つ内に一人二人と懐かしい顔ぶれが揃い始めた。「久し振り、わかる?」「えーと誰?」なかには、卒業以来四十数年ぶりの再会で見つめ合う面々も、相手が判明すればたちまち笑顔で打ち解ける。

やがてビールやウーロン茶で喉の滑りがよくなり名物、手打ちのうどんすきで馬力をつけると、かつての高校生たちは時を遡り頬を赤らめて語り合うのであった。
懐かしい時代だ
そして二次会はスナックに繰り出してカラオケ、楽しそうなみんなの顔を眺めながら、そうだ一人づつの俳句を作って見ようと考え、出来たのが次の十九句。せっかくだから名前を五七五の頭に読み込み、二文字の人もそれなりに句に入れてみた。例えば僕は晴雄だから「霽(はれ)の字にルビを振るなり男郎花(おとこえし)」と言った具合である。

以下卒業時のイニシャルを記すと

T・Uさん ときめきと四季を忘れず小鳥来る
K・Uくん 栗の実を煮て竹取の翁かな
MOさん みな違いどれも美味なる林檎かな
MNさん 水澄むや尽きず輝く瑠璃と玻璃
MSさん 木の実降る美しき代の城山に
TMさん 妙(たえ)なるや胡桃橡の実世を繋ぎ
K・Hさん 気は満ちて蔵に宝の古酒新酒
MNくん 脈々と地を引き締めて竹の春
K・Eくん 彼方までずっと先まで蜜柑山
MKくん 迷いなし酒と色気と猪の肉
NSさん 乗る船の無事を祈れば小紫
KTさん 谷川も水の秋なり君が里
SMさん 鶺鴒のいつも来る庭古都の晴
KYさん かく生きて拈華微笑の峰の月
Y・Wさん 佳き日とて新米炊いて寿げり
Y・Mくん 夢やがて現に至る十三夜
THさん 田も畑もまさに五穀の紀伊の秋
MMさん 松が枝に月あり美しき都

今度彼や彼女たちに会うのは果たしていつのことになるだろう。