2015年10月18日日曜日

2015年10月18日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(250)
       山尾かづひろ  読む

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尾鷲歳時記(247)
       内山 思考    読む

俳枕 江戸から東京へ(250)

板橋区乗蓮寺(東京大仏)

文:山尾かづひろ
挿絵:小倉修子  

切絵 コスモス




















江戸璃(えどり):前回の板橋区松月院は吟行日和で何よりだったわね。

穂の解けてまだ風癖の芒かな   柳沢いわを
案内さる座敷窓辺の大芭蕉    福田敏子
柊の古木に宿る秋の風      白石文男

都区次(とくじ):ところで、今回はどこですか?

江戸璃:前回の板橋区は10年ほど前にも行った場所でね、思い出の道を歩くと当時の天を衝くような元気が戻ってくるわね。というわけで今回も板橋区に詳しかった寺田り江さんの案内を思い出して、私の独断と偏見で板橋区の乗蓮寺、別名・東京大仏へ行くわよ。

かまつかや大佛すでに暮の色   星 利生
何耐えるがまんの鬼や昼の虫   大本 尚
一群に園内染めて野菊かな    寺田り江
穂芒のくすぐる足裏布袋様    佐藤照美
鵙鳴いて七福神の横並び     吉田ゆり
大仏の影の薄きに花芙蓉     小熊秀子
花芒池に影置く浮御堂熊     熊谷彰子
閻王に舌を隠して秋の蝶     奥村安代
秋の風天保飢饉の供養塔     大木典子

江戸璃:乗蓮寺は浄土宗の寺として元々は板橋区の仲宿にあって天正19年(1591)徳川家康から朱印地を寄進され、八代将軍・徳川吉宗の鷹狩の際の休憩所、お膳所として使われたのね。長いこと仲宿にあったのだけれど、首都高速道路の建設等で昭和48年に現在の赤塚城址に移って来たのよ。その際恒久平和を祈願して青銅製の東京大仏が建立されたのよ。

いとけなきものの類の木の実かな    戸田喜久子
野分立つ閻魔大王ひと睨み       油井恭子
黄葉中趺坐の大仏世を俯瞰       石坂晴夫
閻王を見入るひととき昼の虫      甲斐太惠子
東京に大仏御在す菊日和        白石文男
きりぎりす我慢の鬼のそびら哉     石坂晴夫
露座仏の厚き胸板秋深し        近藤悦子
年ふりし御堂の庭の新松子       白石文男
秋風やがまんの鬼を撫でてをり     甲斐太惠子

江戸璃:アクセスだけれど東武東上線成増駅北口から赤羽駅西口行(又は志村三丁目駅行)のバスに6分乗って「赤塚八丁目」で下車するのよ。


高西風やがまんの鬼にやさしかれ 長屋璃子
法要の列の途切れて曼珠沙華   山尾かづひろ

尾鷲歳時記(247)

秋の山の実り
内山思考

仏前に力抜いたる熟柿かな   思考 


どちらも信州育ち








時は流れて果物の美味しい季節がやって来た。菓子はもともと果物を表す言葉だと言う。それがいまや、主食を伴う食事以外に摂取する、主に砂糖を使った食べ物(こんな定義でいいのかな)を指すようになった。「旨し」は「甘し」で、甘味料が入手困難な時代は薬効さえあったろうが昨今は、トマトにも甘さを求めるのだから現代人の味覚は退化傾向にあると僕は感じている。


柿渋染めのバッグ
魚の自然な生臭さ、肉の獣の味、青臭い野菜、そして木の実の香りを残す果物、それらの特性は若い大衆の舌に合わせようとすればするほど失われていくようだ。「柔らか~く」「甘~く」「口の中で溶ける」食べ物をビールや炭酸飲料で胃袋へ流し込む文明の行く手には、いったいどんなラスト・ディナーが待っているのだろう。

今回は果物で句を作ってみた。

「秋果」  
秋果手に三々五々と神はゆく
日本は一山(いちざん)秋の果を生らせ
打つ鈴(りん)の音の秋の果に触れつづく
スーパーは夢の明るさ秋果棚
果物の秋を泣いたり笑ったり

「林檎」 
林檎みな佳き名  さざめきつつ届く
林檎すぐ尻を見らるる梨は見ず
もがれたる林檎驚天動地かな
両断の林檎マグマは無くて種
みちのくの風音聞こゆ青林檎  

「梨」  
黙考や月の裏側夜の梨
恩師より賜る梨に五指馴染む
梨は雲甘露の法雨抱いている
芯噛みし昔懐かし梨の頃
梨剥くや肉屋のチラシに皮垂らし

「柿」  
柿の肉天人五衰おそろしき
天に腹突き出して柿供えらる
火星ならむ柿の肌(はだえ)に映る世は
弁当を拡げよ柿の木の少女
現世やみるみる乾く柿の種 

「葡萄」 
山ぶどう見上げて髭奴が通る
例うなら葡萄の軸のような人
葡萄吸い難し前歯の治療中
黒葡萄人類の母熟寝(うまい)せり
姫の頬動き止まずよ乾しぶどう  

「桃」  
一系の裔なり桃もまた薔薇科
どの桃も皮ごと喰らう男かな
大陸の詞を聴きたしや桃を手に
桃を見る眼(まなこ)瞬いては濡れる
皮と種残す桃なり妻の前