■ 俳枕 江戸から東京へ(190)
山尾かづひろ 読む⇒
■ 尾鷲歳時記(187)
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2014年8月24日日曜日
尾鷲歳時記(187)
理科の話
内山思考
投げられし林檎受け取る物理かな 思考
父は中学校の理科の教師だった。僕ももちろん父の授業を受けた。割とわかりやすい教え方だったと記憶しているが、とにかく照れくさかった。何か面白いことを言ってクラスの皆が爆笑しても僕は笑えなかった。父そのものが笑われている気がしたからだ。そんなに媚びを売らなくても、と苦々しい気持ちがした。中一の最初のテストでそれほど勉強したとは思わないのに隣の部屋で「オイ、晴雄が最高点やったぞ」と父が母に話しているのを聞いたが、それで調子に乗って頑張るほど素直でない僕は以後、父の期待を裏切り続けることになる。そして今、学問は楽しいのに何であんなに毛嫌いしたんやろ、と思うのだ。
「少年老い易く学成り難し」を身をもって実践したからこその得難い述懐である。でもその頃から理科という科目は嫌いではなかった。後年、和田悟朗さんにお会いして、初対面とは思えぬ親しみを覚えたのも、どこかに父の匂いを感じたからだろうか。でも本当は似てないところの方が多い。父は折り合いの悪かった父房吉が俳句好きだったこともあってか、大の俳句嫌いだった。よく、あれ(俳句)は見て来たような嘘を言うもんや、と言い「フーン」と聞いていた僕が半世紀後、俳句に関わっているのだから世の中は面白い。
和田さんの
うそ寒の水銀玉となりたがる 悟朗
の句を見た時は中学時代を思い出した。授業中誰かが水銀の入った小瓶を床に落としたのである。「常温で液状を呈する唯一の金属(広辞苑)」はたちまち零れ転げコロコロと逃げ回った。僕たちは授業そっちのけで千切ったノートで掬おうとしたが、回収率ははかばかしくなかった。その場面にいたのはもう一人いた理科の先生だったような気もする。先日、和田さんに『溶液の性質Ⅱ』(和田悟朗共著)をいただき、これで理学博士和田悟朗の著書訳書四冊が揃った。内容はとても難しいが、時々ページを繰って講義を受けている気分を味わっている。
内山思考
投げられし林檎受け取る物理かな 思考
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父の愛用していた 虫メガネ、レンズが重い |
父は中学校の理科の教師だった。僕ももちろん父の授業を受けた。割とわかりやすい教え方だったと記憶しているが、とにかく照れくさかった。何か面白いことを言ってクラスの皆が爆笑しても僕は笑えなかった。父そのものが笑われている気がしたからだ。そんなに媚びを売らなくても、と苦々しい気持ちがした。中一の最初のテストでそれほど勉強したとは思わないのに隣の部屋で「オイ、晴雄が最高点やったぞ」と父が母に話しているのを聞いたが、それで調子に乗って頑張るほど素直でない僕は以後、父の期待を裏切り続けることになる。そして今、学問は楽しいのに何であんなに毛嫌いしたんやろ、と思うのだ。
「少年老い易く学成り難し」を身をもって実践したからこその得難い述懐である。でもその頃から理科という科目は嫌いではなかった。後年、和田悟朗さんにお会いして、初対面とは思えぬ親しみを覚えたのも、どこかに父の匂いを感じたからだろうか。でも本当は似てないところの方が多い。父は折り合いの悪かった父房吉が俳句好きだったこともあってか、大の俳句嫌いだった。よく、あれ(俳句)は見て来たような嘘を言うもんや、と言い「フーン」と聞いていた僕が半世紀後、俳句に関わっているのだから世の中は面白い。
和田さんの
うそ寒の水銀玉となりたがる 悟朗
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和田博士の著訳書 |
俳枕 江戸から東京へ(190)
麻布十番(その2)
文:山尾かづひろ
都区次(とくじ): 前回は麻布十番の大法寺でしたが、今日はどこですか?
鳳仙花爆ぜてしきりに胸さわぐ 小熊秀子
江戸璃(えどり):やはり13年ほど前に大矢白星師に連れて行ってもらった曹洞宗の賢崇寺へ行くわよ。
江戸璃:賢崇寺は寛永12年(1635)、鍋島藩初代藩主の鍋島勝茂が疱瘡で息子の鍋島忠直を亡くしたので弔いのため建立したのよ。当時、江戸府内では寺院の新立が禁じられていてね、川越の辺の地方氏族・仙波氏の菩提寺だった高輪正重寺を買収し、現在地に移すという手続きを取ったのよ。忠直の戒名「興国院殿敬英賢崇大居士」から興国山賢崇寺と号したわけ。本堂の裏手に回ると歴代藩主とその室はじめ、一族の墓の大きな五輪塔が立ち並び、他に殉死者の墓もあって都の史跡になっているわよ。白星師も多くの大名の墓域を見て歩いているそうだけれど、この鍋島家の墓域は壮観だと言っていたわね。こんな場所がこの辺りに残されているとは驚きよね。なお、二二六事件の結果、代々木原頭で銃殺刑に処せられた青年将校22名の墓や、父親が佐賀県出身だった象徴派詩人の蒲原有明の墓などがあるわよ。
都区次:日が暮れてきましたが今日はどうしますか?
江戸璃:麻布十番から都営地下鉄の大江戸線で帰るわよ。
月渡る寺も墓所も鈍色に 長屋璃子
落日の懐かしさあり鳳仙花 山尾かづひろ
文:山尾かづひろ
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賢崇寺本堂 |
都区次(とくじ): 前回は麻布十番の大法寺でしたが、今日はどこですか?
鳳仙花爆ぜてしきりに胸さわぐ 小熊秀子
江戸璃(えどり):やはり13年ほど前に大矢白星師に連れて行ってもらった曹洞宗の賢崇寺へ行くわよ。
江戸璃:賢崇寺は寛永12年(1635)、鍋島藩初代藩主の鍋島勝茂が疱瘡で息子の鍋島忠直を亡くしたので弔いのため建立したのよ。当時、江戸府内では寺院の新立が禁じられていてね、川越の辺の地方氏族・仙波氏の菩提寺だった高輪正重寺を買収し、現在地に移すという手続きを取ったのよ。忠直の戒名「興国院殿敬英賢崇大居士」から興国山賢崇寺と号したわけ。本堂の裏手に回ると歴代藩主とその室はじめ、一族の墓の大きな五輪塔が立ち並び、他に殉死者の墓もあって都の史跡になっているわよ。白星師も多くの大名の墓域を見て歩いているそうだけれど、この鍋島家の墓域は壮観だと言っていたわね。こんな場所がこの辺りに残されているとは驚きよね。なお、二二六事件の結果、代々木原頭で銃殺刑に処せられた青年将校22名の墓や、父親が佐賀県出身だった象徴派詩人の蒲原有明の墓などがあるわよ。
都区次:日が暮れてきましたが今日はどうしますか?
江戸璃:麻布十番から都営地下鉄の大江戸線で帰るわよ。
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鍋島藩歴代藩主の墓 |
月渡る寺も墓所も鈍色に 長屋璃子
落日の懐かしさあり鳳仙花 山尾かづひろ
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