2015年4月5日日曜日

2015年4月5日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(222)
       山尾かづひろ  読む

■ 
尾鷲歳時記(219)
       内山 思考    読む

俳枕 江戸から東京へ(222)

城ヶ島(その1)
文:山尾かづひろ 


城ヶ島大橋










江戸璃(えどり):早いものね。もう4月に入っちゃったわね。桜が咲いても寒い日があったりするから気をつけないとね。

手びねりのグラスに移る花の冷え   幸村睦子

都区次(とくじ):先月の3月は湯島界隈へ行きましたが今回の4月はどこですか?
江戸璃:先月の3月には大矢白星師に城ヶ島を案内してもらってね。城ヶ島は源頼朝に始まって、以来江戸町人の遊覧地となっていたから、4月中はこのブログでもトレースしようと思ったわけ。本日は「城ヶ島大橋」と「北原白秋詩碑」へ行くわよ。京浜急行の三崎口駅から城ヶ島行きのバスに20分ほど乗るわよ。バスに乗ると途中、城ヶ島大橋を渡るのね、周囲にはこの橋より高い土地は殆ど無くて、太平洋、相模湾、東京湾、東に房総半島、南に伊豆大島、西には伊豆東岸から湘南地域、富士山、丹沢山地が一望できるのよ。そもそもこの橋は昭和30年の前後、遠洋漁業の急速な発展に伴って、三浦漁港の漁業関連用地が不足する事態となってね、三崎の対岸の城ヶ島に埋め立て用地を求めたのね、そこで高度利用を図るために城ヶ島と三崎を結ぶ城ヶ島大橋の建設を神奈川県が7億円を借りて昭和35年に完成させたのよ。人・自転車は無料だけれど、普通車は100円(3ナンバーは150円)、路線バス200円、他のバス520円の渡橋料を取って23年間で償還させたそうよ。だけど橋の維持のために今でも料金を取っているそうよ。

強東風に抗ひつつも白秋碑  佐藤照美

江戸璃:橋を渡り切ったところを白秋碑前で降りて、7分ほど歩くと北原白秋詩碑に着くわよ。

寄居虫のすむ岩忽と穴ひとつ  野木桃花

江戸璃:帆型の自然石に白秋自筆の「城ヶ島の雨」の詩を刻んだ詩碑が荒磯に突き差したように建っているのよ。

涅槃西風富士を見せたり隠したり  大矢白星

江戸璃:この詩碑の場所から三崎漁港の灯台の上に綺麗な富士山が見えるのよ。


白秋碑から見た富士山











春潮や帆のかたちとふ白秋碑  長屋璃子
朝の間に片付けられて磯焚火  山尾かづひろ

尾鷲歳時記(219)

潮溜まりの話 
内山思考

磯遊び見えて野遊び腰おろし  思考

磯遊びは楽しい
本部で









小学校一、二年の頃だから半世紀も昔の話だ。僕たち家族は、当時和歌山の熊野川上流に住んでいた。前も後ろも山ばかりの小さな町である。ある春の夕べ、一人の女の子(僕にはずいぶんお姉さんに見えた)が「これ先生に」と何か提げてやって来た。地元で理科教師をしている父の教え子の彼女は、その日遠足だったらしく、はるばるバスに乗って海岸線で磯遊びをして来たのだという。

「貝を採って来たから食べて下さい」
「まあまあ」

留守の父に代わって母が丁寧に礼を言って受け取った重い袋からは強い潮の臭いがした。と今思うのはきっと、あとからの記憶のでっち上げだろう。結局中身は全てヤドカリで、裏山の肥やしになってしまったのだが、その夜両親が「山の子やからヤドカリを知らなんだんやろな」と話し合っていたのと、翌日父がその女生徒に礼を言っただけで貝の話はしなかったと母に告げたのは覚えている。

勝手な想像だが、山育ちの娘が多分生まれて初めて磯遊びに出掛けたのだ。朝早くバスに乗って舗装もしてない山路を長時間揺られ、思い切り広がった視野の向こうに水平線を見たときはどれほど嬉しかったことか。家の手伝いも宿題もしなくていい、その日の時間は遊ぶ為だけにあった。潮風に吹かれ緩い波に追われながら声を上げて潮溜まりに屈む少女たちの姿が見えるようである。

タカシ作
貝殻の壁掛け
浜育ちでも楽しいのだから彼女の歓喜は推して知るべし、しかも貝は少々逃げ回るもののいくらでも採れる。その収穫をあの先生にも分けてあげればどんなに喜んでくれるだろう、と父の顔を思い浮かべてくれたのなら、それがヤドカリだろうが何だろうが、教師冥利に尽きるというもの、あれは食べられない貝なんだよと父は口が裂けても言わなかったに違いない。彼女の優しさは美しい逸話となって僕のこころに残っている。ところで、素潜り名人の知人によると、磯の沖にはとんでもなくデカいヤドカリが居て、エビの如くに美味いそうである。