2015年4月19日日曜日

2015年4月19日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(224)
       山尾かづひろ  読む

■ 
尾鷲歳時記(221)
       内山 思考    読む

俳枕 江戸から東京へ(224)

城ヶ島(その3)
文:山尾かづひろ 


城ヶ島灯台









都区次(とくじ):江戸璃さんは先月の3月に大矢白星師の案内で城ヶ島を回って来ましたね。

朝東風や三崎漁港の船溜り   小川智子
涅槃西風鳶の浮遊の上下動   小林道子

都区次:そのコースを4月に私へ説明してくれるという事で前回は、(その1)城ヶ島大橋・白秋詩碑、(その2)三崎漁港へ行きましたが今回はどこですか?

江戸璃(えどり):城ヶ島灯台へ行くわよ。漁港から灯台ふもとの商店街を通り抜けて行くわよ。

荒磯へと続く店先焼栄螺  寺田啓子

江戸璃:灯台は丘の上にあって、途中、坂・階段が続くから気合を入れて歩いてよ。

城ヶ島灯台めざし青き踏む  土屋俊子

江戸璃:やっと着いたわね。標高30メートルの崖上に建つ灯台は素晴らしいわね。上って来た甲斐があったでしょう。

春疾風白亜の灯台揺るぎなし  梅山勇吉

江戸璃:風が強いからよく晴れて見通しがきくわね。

酸模(すかんぽ)や伊豆安房大島一望に  窪田サチ子

江戸璃:慶応3年(1867)幕府は諸外国の求めに応じて観音崎、野島崎、品川第二砲台、そして城ヶ島の4ヵ所に灯台建設を計画してね。横須賀製鉄所の首長として招かれていたフランス人技師レオンス・ヴェルニ―に建設を依頼、この城ヶ島灯台は明治維新を経て明治3年(1870)8月)に初点灯を迎えたのよ。日本の西洋式灯台としては観音崎灯台(1869年2月)、野島崎灯台(1869年12月)、品川灯台(1870年3月)、樫野崎灯台(1870年6月)に次ぐ5番目の点灯なのよ。建設当初は塔形(円形)のレンガ造であったそうよ。

二代目は白の灯台桜東風  小熊秀子

江戸璃:大正12年の関東大震災で設置当時の灯台は灯塔、附属舎共に完全に倒壊しちゃったそうよ。その後大正14年8月に白色塔形(円形)コンクリート造で再建され、現在まで使用されているのよ。

日盛りに白き灯台仁王立ち  加藤 健

江戸璃:白星師に案内してもらった先月はまだ冬の水仙が残っていたのだけれど、すっかり終っちゃったわね。完全に春ね。春の水仙はこの島には無いのよね。

人間は管切って繋ぐ喇叭水仙  飯田孝三

灯台下の店屋











春の昼白き灯台発光す    長屋璃子
水仙は灯台の花花期過ぐも  山尾かづひろ

尾鷲歳時記(221)

春雨のち晴れ
内山思考 

一粒ずつ種を与えて涅槃かな  思考

いよいよ咲き始めた













 菜種梅雨にしては大掛かりな長雨がやっと一息ついたらしく、今日は朝からの上天気、牡丹の蕾がグンと一回り大きくなって、ピンクの身がチラリと肩を出している。いよいよ開花の体勢に入ったようだ。そうこうする内に、寺山の高見に藤の花がハラリ、ホロリと垂れて来て、尾鷲の歳時記は晩春から初夏へのページがさり気なく捲られて行くのであろう。ああ、時の流れに錨を降ろすことは出来ないものなのか・・・、と言う感傷はひとまず置いて、先週、青木上人夫婦と四日市のパラミタミュージアムへ出掛けた。

「北斎の富士」と題し「冨嶽三十六景」「富嶽百景」が展示されていると聞いたからだ。尾鷲から高速に乗れば約二時間、恵子を入れて四人居れば話題に困ろう筈もなく、勢和多気、松阪、津、亀山、鈴鹿と時間空間は過ぎて四日市ICを下りR477を走ること数キロで目的地到着。昼餉は後のお楽しみということにしてまず優先すべきは肝の養いである。かの有名な「神奈川沖浪裏」や赤富士など、北斎の画であるのはもちろんだが、彫り師摺り師の手練が加わっての完成作だから、そのあたりはやはり本物を観ないと迫力が伝わって来ない。

三十六景絵はがきセット
どれもこれも見応え充分、中には判じ絵のような機知もあり、一つの主題(富士山)でよくぞここまで多彩な景色をと、北斎の才能に改めて感嘆した次第である。館の売店でお上人に「三十六景」の絵はがきセットを買ってプレゼントして貰ったので、じゃあ折角だから一枚につき十句ずつ作ってみようと思いたった。


まず「山下白雨」からである。

不二悠久地に雷電の刹那あり
天地(あめつち)に一山ありぬ裾に雷
夏富士や表裏を暗と明に分け
不二隠れ数多の村に喜雨ありし
数学も科学も永久に不二白雨
唯一の山に雷(いかずち)落とす雲
入道雲覗くよ不二の肩越しに
頂きを宇宙の紺に触れて夏
夕立の尾根を集めて不二と言う
雷神に腰を打たせて不二半眼

 次は「凱風快晴」だ。