2014年5月11日日曜日

2014年5月11日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(175)
       山尾かづひろ  読む

■ 尾鷲歳時記(172)

       内山 思考    読む

俳枕 江戸から東京へ(175)

山手線・田町(その6)
文:山尾かづひろ 

大信寺










都区次(とくじ):前回は三田台地の長松寺でしたが、今日はどこへ案内してくれますか?

夏蝶の通り抜けたる寺小路  熊谷彰子

江戸璃(えどり):やはり大矢白星師に案内してもらった三田台地で、「三味線寺」と呼ばれる浄土宗の大信寺へ行くわよ。長松寺から国道1号の桜田通へ出て左へ少々進むと大きな四つ辻、魚籃坂下の交差点に出るわね。左に入り、魚籃坂にさしかかった左側に大信寺があるのよ。この寺は慶長16年(1611)涼公上人が、幕府より南八丁堀に寺領を拝領し創建したのよ。寛永12年(1635)江戸城の拡張に伴い現在の三田に移転してきたわけ。港区教育委員会が建てた案内板があって「三味線はわが国の代表的な楽器として世界に知られている。13世紀ごろ中国に三弦として起こり、琉球に伝わった。16世紀ごろ摂津の堺に伝来して、京阪地方の琵琶法師に用いられた。その後種々の技法を取り入れた石村検校と、それを継いだ石村近江は、日本の三味線として多数の名器を世に出し、邦楽の発展に寄与した三味線製作の始祖とされる石村近江は、号を浄本、通称を源左衛門といい、京都から江戸へ移住して三味線を完成、「浄本近江」と呼ばれた名工であった。寛永13年(1636)死去」という訳で三味線に縁のあるお寺で、石村近江の墓や長唄の杵屋勝五郎の墓などがあるわね。白星師に14年前の冬に案内されたときには庭先にテントが張られ、人の出入りも見られるので白星師が何かと住職に聞くと、これからお十夜の集いがあるとのことだった。大信寺の中村孝之住職は、長唄を唄い、三味線を弾き、頼まれればオペラも歌うという器用人で、更には自家用飛行機も所有するという風変わりなお坊さんでね、お十夜の始まる前に、一席まくし立てて中へ消えちゃったわよ。
都区次:夕方になりましたが、今日はどうしますか?
江戸璃:慶応仲通りのダイニングバーでワインを飲みたくなっちゃった。
都区次:いいですね。行きましょう。

石村近江の墓














父と子の揃ふ足どり夏帽子    長屋 璃子
声だして由来読みたる夏帽子   山尾かづひろ



尾鷲歳時記(172)

緑の男 
内山思考

いろいろな緑の中の新茶かな 思考

今日も逃げている彼













先月の末、しばらくは映画鑑賞も出来ないね、ということで封切りしたばかりの「テルマエ・ロマエⅡ」を恵子と観に行った。これはヤマザキマリさんのマンガをもとにした娯楽作品で、古代ローマの建築家が皇帝の求めに応じて温浴施設を造ろうとする内に、現代日本にタイムスリップして風呂文化を学ぶという内容だ。舞台は大スペクタクル風なのに配役はほとんど日本人、しかもカルチャーショックを強調した笑いがふんだんに盛り込まれているからコメディ好きにはちょうどいい。空いているにもかかわらず僕たちは、いつものように離れた(妻は真ん中、夫は一番隅)席で大いに楽しんだ。

当時のローマには実際に公衆浴場があったそうで、ある程度史実に基づいた部分と、他愛の無いエピソードのギャップが第二作に至るヒットの要素となっているのだろう。ギャップと言えば俳句の場合も性質の異なる二つの大きな素材を組み合わせる手段はよく使われる。芭蕉の「古池や」の緊張と緩和、子規の「柿食えば」の味覚と聴覚と言った具合である。

さて映画に関する話はここまでで、劇場やホテルなどの館内には必ず非常口があり、暗くてもわかるように誘導灯がついている。僕はあれを目にするたびに間違いなく

非常口に緑の男いつも逃げ  飛旅子

この本には安らぎがある
を思い出す。そしてまったくその通りやなあ、と感心しながら田川飛旅子さんのことを懐かしむ。もう二十年も前だろうか、大阪での大会後の懇親会で、田川さんが僕に話しかけて下さったことがあった。少しきこしめしていらっしゃったのかも知れないが、一面識も無い男に大先生の方から声を掛けて頂いた嬉しさといったらなかった。今も満面の笑みと「頑張ってください」の一言は忘れない。一期一会とはよく言ったもので、結局お会いしたのはその一度だけ。でも、手元にある「田川飛旅子読本」を紐解くたびに、お人柄そのままのような俳句を通じて氏の優しさ親しさに触れている気がする。