2014年5月11日日曜日

尾鷲歳時記(172)

緑の男 
内山思考

いろいろな緑の中の新茶かな 思考

今日も逃げている彼













先月の末、しばらくは映画鑑賞も出来ないね、ということで封切りしたばかりの「テルマエ・ロマエⅡ」を恵子と観に行った。これはヤマザキマリさんのマンガをもとにした娯楽作品で、古代ローマの建築家が皇帝の求めに応じて温浴施設を造ろうとする内に、現代日本にタイムスリップして風呂文化を学ぶという内容だ。舞台は大スペクタクル風なのに配役はほとんど日本人、しかもカルチャーショックを強調した笑いがふんだんに盛り込まれているからコメディ好きにはちょうどいい。空いているにもかかわらず僕たちは、いつものように離れた(妻は真ん中、夫は一番隅)席で大いに楽しんだ。

当時のローマには実際に公衆浴場があったそうで、ある程度史実に基づいた部分と、他愛の無いエピソードのギャップが第二作に至るヒットの要素となっているのだろう。ギャップと言えば俳句の場合も性質の異なる二つの大きな素材を組み合わせる手段はよく使われる。芭蕉の「古池や」の緊張と緩和、子規の「柿食えば」の味覚と聴覚と言った具合である。

さて映画に関する話はここまでで、劇場やホテルなどの館内には必ず非常口があり、暗くてもわかるように誘導灯がついている。僕はあれを目にするたびに間違いなく

非常口に緑の男いつも逃げ  飛旅子

この本には安らぎがある
を思い出す。そしてまったくその通りやなあ、と感心しながら田川飛旅子さんのことを懐かしむ。もう二十年も前だろうか、大阪での大会後の懇親会で、田川さんが僕に話しかけて下さったことがあった。少しきこしめしていらっしゃったのかも知れないが、一面識も無い男に大先生の方から声を掛けて頂いた嬉しさといったらなかった。今も満面の笑みと「頑張ってください」の一言は忘れない。一期一会とはよく言ったもので、結局お会いしたのはその一度だけ。でも、手元にある「田川飛旅子読本」を紐解くたびに、お人柄そのままのような俳句を通じて氏の優しさ親しさに触れている気がする。