2011年7月17日日曜日

2011年7月17日の目次

俳枕 江戸から東京へ(29)
             山尾かづひろ   読む
尾鷲歳時記 (26)                          
                   内山  思考    読む

私のジャズ (29)          
                  松澤 龍一     読む

俳枕 江戸から東京へ(29)

浅草界隈/浅草神社・二天門
文 : 山尾かづひろ  
浅草神社










都区次(とくじ): 今日は浅草寺の東側を見てみましょう。本堂の東側にあるのが「浅草神社」です。由来は何ですか?
江戸璃(えどり): 浅草寺のはじまりは推古天皇の36年(628)の3月18日の早朝、土師値中知(はじのあたいなかとも)とその家臣・檜前浜成(ひのくまはまなり)と弟・竹成(たけなり)の三人が一寸八分の観音様を網で引き上げたのが始まりとされていて、この三人は浅草神社の祭神として祀られているのよ。浅草神社は「三社権現」といわれ、「三社さま」と呼ぶ所以なのよ。5月の第3日曜までの3日間に行われる三社祭は江戸三大祭の一つで名高いわね。
都区次: 浅草神社の鳥居に向って右手に建つ「二天門」は何ですか?
江戸璃: 元和4年(1618)浅草寺境内に「東照宮」が造営されて、当初はその「随身門(ずいしんもん)」だったのが、二十数年後に本体の「東照宮」が焼失してね。再建は許されず門だけ残っちゃったのよ。その後の明治の神仏分離で「二天門」に改称されたのよ。 中の二天は戦時中修理中に焼失というスッタモンダがあって、現在の二天像は上野寛永寺の第4代将軍家綱公の霊廟から拝領したものなのよ。

二天門










観相の幕を冬木へかけて張る   大矢白星
鐘振って二天門へと氷菓売り  山尾かづひろ

尾鷲歳時記(26)

海の幸・川の幸
内山思考 

 打水や路地のおちこち人滲み  思考

たまり漬け、生節、塩辛と二合飯












鰹の大漁がよく地元紙に掲載される。 この季節、新鮮な刺身を食べたければ、僕たちはいつでもその望みを叶えることができる。 住んでいる北浦は元々、漁師町なので、ご近所からのお裾分けに預かることもあるし、市内のマーケット、路地の魚屋さんなど、入手の方法は色々とある。 「はいよ」と一本丸ごと玄関先に届くこともあり、そんなときは、魚屋さんをしている従姉のところへ提げていき、捌いてもらう。

妻も漁師の娘なので、出来ないことはないのだが、仕事から帰って家庭用の狭い台所で包丁を振り回すのは億劫のようだから、僕が従姉に頼むのだ。 彼女は凄い。左利きなので、見ている方は何だか危なっかしく思うが、冗談を言いつつ鰓から刃を入れて頭を落とし、三枚に下ろして皮を剥き、あれよあれよと言う間に皿へ盛り付けてくれる。流石にプロ、動きに無駄がない。

片身はブツ切りにしてもらって醤油漬けにする。これは「たまり漬け」といい、味が染みた頃に焼いて食べるのだ。 生姜醤油に浸した刺身を汁椀に入れ、熱い番茶を注ぐと旨味たっぷりの「茶じふ」になる。よくダシのでる鰹ならではの楽しみ方で別名「医者ごろし」つまり、病気も寄り付かない滋養食というのもうなづける。 我が家はタタキにする習慣はない。

あと、鰹で好きなのは「生節(なまぶし)」である。これはいわゆる「なまりぶし」でなく、それをウバメガシで燻した薫製である。包丁で削いでそのまま生姜醤油が最高。 玄人好みの内臓の「塩辛」も外せない。やや生臭みがあるので、好き嫌いは分かれるが、茶漬けにして啜りこんだ時の幸福感を嗚呼、何に例えればいいのだろう。
釣りたて焼きたての鮎









鰹のことばかり書くつもりでいたら、妻の幼なじみが釣りたての鮎を持って来てくれた。 夏風邪で寝込んでいる妻にそれを告げると「あ、塩焼き食べたい」と言った。

私のジャズ(29)

今夜はシナトラで
松澤 龍一

 Only The Lonely
  (Capital CDP 7 48471 2)













シナトラ、言わずと知れたフランク・シナトラのことである。アメリカ大衆音楽が生んだ最高の男性歌手である。アメリカ本国であれほどの人気を博し、なおかつ実力も兼ね備えていながら、なぜか日本では今一つ。ああ、あのマイ・ウェイを唄ってた歌手ね。それなら聞いたことがある、とその程度である。原因は日本人の英語力にあると勝手に決めつけている。シナトラの歌は内容を分からずに聴いても面白くなければ、可笑しくもない。
Only The Lonely と題されたアルバムの一曲 One For My Baby を聴いてみよう。


朝の三時近くまで飲んだくれた酔っ払いが、Joeと呼ばれるバーテンダーにカウンター越しに管を巻いている、とこんなシーンだ。下手な訳を付けると、

おい、そろそろ三時だぜ。他の客は帰っちまったのかい。
それじゃ、ジョー、俺に一杯作り直してくれないか。お前に聞いてもらいたい話があるんだよ。
この話の終わりまで、付き合って、一緒に飲んでくれないか。
俺のあの娘に一杯、もう一杯は俺の生きざまに


...とこんな感じで続く。要は酔っ払いの繰り言なので、一向に話の核心に行かない。 One for my baby and one more for the road  と言うフレーズの繰り返しが、何とも快い。曲はハロルド・アーレン、詩はジョニー・マーサー。 one more for the road の the road を何と訳すか、頭をひねる。 「帰り路」と訳している人もいる。ちょっと違う気がする。でも、「生きざま」は大げさすぎる。好学の士の教えを請いたいところである。

この Only The Lonely  と題されたアルバム、シナトラの最高傑作でアメリカのボーカル史上燦然と輝く一枚である。