2013年11月3日日曜日

2013年11月3日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(148)
       山尾かづひろ  読む

■ 尾鷲歳時記(145)
       内山 思考    読む

俳枕 江戸から東京へ(148)

山手線・日暮里(その48)
根岸(上根岸82番地の家(32)「子規庵」)
文:山尾かづひろ 

道灌山










都区次(とくじ):前回は神戸病院・須磨保養所で虚子が子規の介抱をしていたわけですが、明治28年7月25日、明朝帰京するという虚子に対して子規は後継者の話をしましたが、虚子はハッキリとした返事をしなかった、ということでした。今回は後継者の話を東京で行ったということですね。

人呼んで道灌山事件冬木立 熊谷彰子

江戸璃(えどり):明治28年12月9日、虚子に東京に戻っていた子規から手紙が届いてね、虚子は根岸の子規庵に行ってみたところ、子規は少し話したいことがある。家よりは外のほうが良かろう、ということになって、二人は日暮里駅に近い道灌山(どうかんやま)にあった婆(ばば)の茶店に行くことになったのよ。
都区次:前回の流れから推測すると子規がトーンを高めて虚子へ自分の後継者としての要請を改めてしたと思うのですが、実際に何と言ったのですか?
江戸璃:自分の死はますます近づいてきている。だが文学はようやく佳境に入ってきた。」とたたみ掛けてから「我が文学の相続者は虚子以外にないのだ。その上は学問せよ、野心、名誉心を持て」と膝詰め談判したと言われているわね。
都区次:それに対して虚子は何と答えたのですか?
江戸璃:「人が野心名誉心を目的にして学問修業等をすることを悪いこととは思わない。しかし自分は野心名誉心を起こすことは好まない」と言って子規の申し出を断ったといわれているわね。数日後に虚子は子規宛に手紙を書き自分の態度を表明しているわね。
都区次:これらの遣り取りは子規にしても虚子にしても第三者に伝える内容ではありませんね。
江戸璃:もちろんこの話は子規や虚子が直接第三者に言ったんじゃないのよ。新聞『日本』の記者で日清戦争の従軍記者の先輩だった五百木瓢亭(いおきひょうてい)を覚えているわね。この「後継者」の一連の話を子規は書簡にして五百木瓢亭に送っていてね。しかし瓢亭にしても受け取ったからと第三者に見せるものではないわね。かなり後に虚子が碧梧桐に打ち明け話をして、子規の死後、瓢亭宛の子規書簡が公表されてから一般に知られるようになったそうよ。
都区次:ところで、今日は日暮里からどこへ行きますか?
江戸璃:一の酉なので入谷から大鷲神社へ行って、帰りに焼き鳥屋で熱燗を飲もうよ。

酉の市(浅草)










誰が住むや大厦(たいか)の天辺冬灯 長屋璃子(ながやるりこ)
無視通す猫の気ぐらい酉の市    山尾かづひろ

尾鷲歳時記(145)

観劇と骨挫傷 
内山思考

人情の時計を秋に合わすなり  思考

藤山直美さんの舞台チケット








藤山直美さんの舞台を観に行ってきた。場所は名古屋の中日劇場で、同行は妻、恵子と知人の青木夫妻である。恵子は二週間ほど前に階段を踏み外し、右足の中指を挫いてしまっているので歩きにくそうだ。医者は骨折はしてないと思うが、痛みが続くようならもう一度来なさいと言ったそうだ。「明日行ってくるわ」と妻。さて開演一時間前に劇場に着くとロビーはもうたいへんな賑わいである。その多くが六十代七十代のおばちゃん。皆さん目を輝かせ表情豊かに語り合っている。その圧倒的な活力に思考と青木上人はタジタジとするのであった。

今回、観劇初体験の僕を誘ってくださったのは上人の奥さんである。何でも藤山直美さんの大ファンで、彼女の舞台は何度か観ているという。是非とも連れて行って下さいと要望したので、すぐネット予約をしてくれたが、「ごめんなさい、もう二階の端しか空いてなくて」とのこと。でも当代きっての喜劇役者の芸を堪能できるのだから、たとえ隅っこでも文句のあろうはずがなかった。

人だかりを縫うようにして席に着くと、早くもお弁当を食べている人が沢山いるのにまず驚く。11時開演で途中に30分の休憩を挟むのだが、それよりは今の間に食べて置こうということのよう。そしていよいよ始まったのは「ええから加減」というお芝居で、直美さんと高畑淳子さんがベテラン漫才コンビを演じる。廻り舞台のセットを大きくいじらず、照明を上手く使って幾つかの空間と時間を表現する方法は、とても興味深いものだった。
さっそく
手摺りをつけて貰った
生の演劇は初めてのこととて、最初は少し緊張感があったが、いつの間にかテンポのいい台詞回しと泣き笑いの人情話に引き込まれ、千数百人の笑いの渦に巻かれた僕は、カーテンコールの拍手の中で、期待以上の収穫を得たことを実感していた。さて翌日病院に行った妻から、やはり骨にひびが入っていたと連絡。それでよく歩いていたものだと、改めてわが嫁の辛抱強さに脱帽した次第。