2015年10月11日日曜日

尾鷲歳時記(246)

ノーベル賞のこと 
内山思考 

秋の山互いに仕事輝かせ  思考

彼は江崎氏受賞の前日に
生まれた













人と長く付き合うと、何度か同じネタの話にも付き合うことになるのは当然で、内容によっては、悪口や愚痴で無い限り繰り返し聞くのもそんなに嫌なものではない。先日の日本人による二部門のノーベル賞受賞は、もちろん我が家でも心躍るニュースとして話題になったが、いつもノーベル賞話の延長で復活するのが惠子の思い出話である。

彼女が三十代の頃、出張で上京し東京駅のホームで電車を待っていると隣で名刺交換をしている人がいた。何気なく一人の手元に目をやったらその名刺には大きく名前だけが印刷されている。肩書きがあるのが普通なのにこの人は一体誰?あらためて視野をズームインさせると「江崎玲於奈」の文字が見えた。どこかで聞いた名だな・・・、首を傾げながら電車に乗ってやっと「あっノーベル賞の」と気づいたと言うオチである。

江崎玲於奈博士が「半導体内および超伝導体内の各々におけるトンネル効果の実験的発見」で同物理学賞を受賞したのがそれより一昔前の1973年(昭和48)だから、急に思い出さなかったのも無理はないかも知れない。1925年生まれの江崎博士が卒寿を迎えてご健在なのは喜ばしいことである。

昭和三十年代の
最先端家電
さて僕の場合ノーベル賞と言えば少年時代の「ノーベル賞飴」が記憶に残る。昭和三十年代は戦後の食糧難からようやく逃れたころで、一般的に喰うには困らないものの菓子類には飢えていた世代の僕は、「甘いものが食べたい」と常に願っていた。そんな生活に、ほんのときたま贈答品としてやって来たのが「扇雀飴」と「ノーベル賞飴」で、「扇雀飴」は丸く平たいブリキ缶に入った鳥の形?のキャンデーだったのは覚えているが、「ノーベル賞飴」の方は名称以外全く記憶に無い。

いま調べたら、大阪の菓子会社が1949年の湯川秀樹博士の日本人初のノーベル賞受賞をきっかけに、「ノーベル賞飴」を考案発売し、その後社名も「ノーベル製菓」に変えたのだとか、少年の日の懐かしい「ノーベル賞飴」をもう一度口の中で転がし、味わってみたいものである。