2012年10月21日日曜日

尾鷲歳時記(91)

天狗倉山(てんぐらさん)
内山思考

青空の溢るる朝や金木犀   思考

天狗倉山
左稜線の下方が馬越峠


















僕の家は天狗倉山の麓にある。尾鷲にいると、日常、意識するしないにかかわらずこの山は必ず視野のどこかにあり、僕たちは、尾鷲湾からいきなり聳え立つ522メートルの山塊の存在にどこか安心感を覚えているようだ。その証拠に、たまに尾鷲を出て平野部に行くと、何だか広い空に吸い込まれそうで落ち着かない。年に二、三度登るが大抵は思いつきである。天気のいい朝など二階の物干しから山容を眺めている内に、不意に「よし、登ろう」と言う力が漲って来るのは、天狗が呼んでいるのだろうか。

今日もそうだった。出発は10時、帰宅は多分12時、タオルも杖も持たないのは手ぶらが一番楽なのがわかっているからだ。しかし、ケータイだけ持つのは尾鷲の俯瞰の景色を写メールで撮るため。それと今回は小さな青ミカンを両のポケットに入れた。家を出て少し行けばもう馬越(まごせ)峠の登り口で、コスモスの揺れる明るい墓群の上方に、これから登る天狗倉山が迫り、頂上の通称「大岩」が小さく白く光っている。

あそこまで行くのか・・・、と溜め息をつきたくなるが、上りに体が慣れてくれば足の運びも軽くなって来るものだ。やがて木立に入ると石畳になり汗がスーッと引いて行った。いつも感心するのは、一見、大小の岩を無造作に敷き詰めた石畳が、どんな歩き方や歩幅にも合う、合理的な道だと言うこと。階段のように一定の幅と高さを同じリズムで歩かなくていいから、疲れが少ないように思う。

頂上で会った人達
女性は九州の佐賀から来たとか
さて、馬越峠に着いた。この先を下れば紀北町(旧海山町)。頂上へはまだしばらく急勾配が残っている。ここまで数人のハイカーとすれ違ったが見ず知らずでも 「こんにちは」「いい天気ですね」笑顔の挨拶が自然に出来るのは心地良い。街中だとそうはいかないのが人間社会の不思議さである。荒い息を吐きながら、それでも頂上の大岩の背後が樹間に見えたので一安心すると、頭上から先客らしい女性の声が華やかに聞こえて来た。