2012年11月4日日曜日

私のジャズ(96)

古き良きアメリカ
松澤 龍一

コニ―・フランシス













我々、団塊の世代は、幼少の頃、多かれ少なかれ、あるいはかなり多くを、アメリカ大衆文化の影響の下に育った。先ずラジオで耳にしたのがエルビス・プレスリーであり、ポール・アンカであり、二―ル・セダカ、リッキー・ネルソンだった。アメリカでもこれらの歌手の登場を促したのは、やはり聴き手としての団塊の世代の存在ではなかったかと思う。

それまでのフランク・シナトラ、ビング・クロスビーのような、いわゆる大人の世代を対象とした歌手に代わって登場したのがエルビスでありポール・アンカで、彼らを熱狂的に支持したのがその当時の若者世代だったと思う。やはり、これにはラジオ、テレビとかの大衆メディアの普及が一役も二役も買っていたことを忘れてはならない。

コ二―・フランシス、好きな歌手だった。若者世代を対象として、続々と登場した歌手の中で、比較的に少ない女性歌手の一人だった。その舌足らずな甘えたような歌い口が魅力的だった。「ボーイハント」とか「渚でデート」とか「カラーに口紅」などと言った曲がヒットした。日本でも伊東かおりとか弘田三枝子などと言った歌手がカバーをしてヒットした。コ二―・フランシスも日本語で歌ったバージョンも残している。





この歌い方、懐かしい。でも、やはり一時代昔の音楽の感は否めない。古き良きアメリカだった。「ボーイハント」(原語で Where the boys are)と衝撃的なタイトルだが、中身は健全な女子大生の話で、女はあくまでの女らしく、男はあくまでも男らしくの時代だった。まだ、ベトナム戦争が泥沼化をしていない頃で、アメリカの一番良い時代では無かったかと思う。

アメリカ社会の健全さを支えたのが家庭の健全さであった。「パパは何でも知っている」と言うテレビドラマがあった。日本ではちょうど一般家庭にテレビが入り込んできた頃に放映され始めた。日本人にはアメリカ社会の豊かさをいやと言うほど見せつけられる番組だったが、その反面、憧れも掻き立たせてくれるものだった。

ユーチューブに当時の番組が載っている。懐かしくて思わず見入ってしまったが、このドラマに登場するパパはパパらしく、ママはママらしく、子供は子供らしく演じられている。保険の代理店をやっているパパ、ぴちっとスーツを着て、家に帰ってもネクタイを外さない。ママはショートカットの髪にワンピース(日本なら割烹着であろうが)、美人で優しく、賢く、夫や子供の世話に没頭する専業主婦。

今ではほとんど見られなくなっている風景である。そう言えば、パパが家でタバコを燻らすのも珍しい。良い悪いの価値判断は別として、古き良きアメリカを写す一断面であることは確かである。