2010年12月26日日曜日

俳枕 江戸から東京へ(2)

皇居界隈/和田倉噴水公園~大手門
文:山尾かづひろ 
大手門









【和田倉噴水公園~大手門】
都区次(とくじ):日比谷通りを横断して、「和田倉橋」を渡ります。渡った先が「和田倉噴水公園」です。この公園は昭和36年、当時の皇太子殿下明仁親王(現在の天皇陛下)のご成婚を記念して造られたものです。
江戸璃(えどり):この「和田倉橋」は徳川家康が江戸に入った時、このあたりに「和田倉」という大きな倉を造り、この倉へ渡る橋を掛け、「和田倉橋」と名づけたことに由来するのよ。
都区次:ところで家康は自分の意思で江戸のある関八州にきたのですか?


灌漑事業前の関東平野のイメージ(映画『鬼婆』より)
 









江戸璃:違うわよ。豊臣秀吉により三河から関八州に転封させられたのよ。秀吉が天下統一した当時、秀吉に対抗できる勢力は家康ぐらいしかいなかったのよ。そのころ関東は近畿圏にくらべて「ど田舎」で家康を関東に閉じ込めれば勢力も弱るだろうと考えたわけよ。転封させられた家康は「その手は桑名の焼きハマグリ」とばかりに必死に塩田を探しまくったわけよ。戦国時代、兵を動かそうとすれば「塩」は軍糧として欠かせなかったのね。苦労の甲斐があって下総の行徳に良い塩田を見つけたわけよ。これを整備させて、塩を江戸に運ぶ小名木川などの水路を引っ張って、最後には関ヶ原で豊臣方に勝っちゃったのね。以来江戸には幕府が置かれて大発展したというわけ。
都区次:さて、「和田倉橋」より3分ほど歩くと江戸城の「大手門」ですが、立派なものですね。
江戸璃:家康が江戸に入った当初は「塩」と「飲み水」と「埋立地」の確保が先決で、こんな城の門なんて言うのは二の次、三の次で家康が天下統一後のものなのよ。

(大手門)
千代田城大手の蟬に竜賀(りょうが)出づ 飯田蛇笏
(和田倉濠)
一羽来てやっと成立鴨の陣 山尾かづひろ