2011年2月27日日曜日

俳枕 江戸から東京へ (11) 

佃島界隈/隅田川護岸・佃大橋
文:山尾かづひろ 
聖路加タワー












【隅田川護岸・佃大橋】
都区次(とくじ): 佃島の住吉神社は西側の隅田川へ向いています。隅田川を見てみましょう。左手の橋は佃大橋です。
江戸璃(えどり):この橋は1964年(昭和39年)の東京オリンピックに間に合わせるための急ピッチな架橋で、隅田川に架かる橋の中では無個性で無粋な橋と言われているわね。この橋が架けられるまでこの場所に何と、「佃の渡し」があったのよ。「驚き、桃の木、山椒の木(おどろき、もものき、さんしょのき)」ね。
都区次:佃大橋を渡った対岸は中央区明石町ですが、地図で見ただけでも文明開化的な史跡が多いですね。
江戸璃:「築地居留地」があったからよ。東京は横浜と違って開港場ではないけれど、明治初期に東京の築地鉄砲洲(現在の明石町)を開市場として外国人居留地を設けたのよ。ところがギッチョンチョン、横浜居留地の外国商社は横浜を動かず、主にキリスト教宣教師の教会やミッションスクールが「築地居留地」に入ったのよ。というわけで青山学院や立教学院、明治学院、女子聖学院の発祥の地となっているのよ。
都区次:この辺では「聖路加国際病院」がひときわ目立っていますが?
江戸璃:居留地内の廃院となったイギリス人宣教医師の病院を、聖公会の宣教医師ルドルフ・トイスラーが買い取り今に至っているのよ。

舟岸につけば柳に星一つ 高浜虚子
聖路加の鐘の抑揚鳥雲に 山尾かづひろ