2011年2月6日日曜日

I LOVE 俳句 Ⅰ-(5)


水口 圭子


墓囲ふ父祖に紙子を着するごと  大串  章

潮騒に墓囲ふ音消されけり    荻原都美子


歳時記をめくっていて、「墓囲」という冬の季語に出会った。雪国などでは、厳しい寒さによって墓石が割れる危険があるので、それを防止するために、藁やむしろで墓石を囲むのだそうだ。私の住む栃木県南部では縁が無いが、単に物理的な意味だけでなく、ぬくもりの感じられる優しい季語である。

お墓と言えば、鷗外の「森林太郎墓」と本名を記しただけの素朴な墓石と、夫人と並んで戒名が書かれ、見上げるほど立派な漱石の墓石と、どちらが本人にとって安らげるのか。

お墓で最も驚いたは、以前沖縄へ行った時に見たその大きさと敷地の広さだった。平たくて亀の甲羅の形の亀甲墓、祠の形の破風墓、どちらもコンクリート製である。
「この世は仮の世であって、死んでからの後の世こそ真実の住家である」という思想から、一族が同じ墓に入る。それ故の大きさと広さであり、血族の絆の堅さの象徴なのである。

昨今は、「そこに私はいません・・・・」という歌詞の歌が流行った所為ではないだろうが、家族の形態の変化などによって、従来の墓石を立てる一般的な形は減りつつあるらしい。新しくお墓を作る場合は全く個人の自由、選べるのである。それどころか友人の一人は、代々のお墓が有っても散骨を希望している。

さて私は・・・海と富士山の見える島にお墓を購入した。墓標は一本の白椿。すでに夫が入っていて、いずれ私も入る。そして土に還り忘れられる、それで良い。