水口 圭子
揺れるたび伸びてゆきさう柳の芽 国友 静子
俳句を始めたばかりの頃、俳句ならぬ啄木の歌に惹かれ、北上川の岸辺に芽吹く柳が見たいと旅に出たことがある。盛岡市の市街地よりも少し下流、柳たちはゆったりと流れる川の岸辺に、本当に「やわらかに」青く芽吹いていた。
今回の震災で北上川の河口域一帯も壊滅的な被害を受け、津波は東北大の調査によれば川を50㎞も遡上したと言う。改めて津波の恐ろしさを思い、一日も早く被災された方々に、安らげる日々が戻ることを祈るばかりである。
さて柳は、個人的な好みからすれば、形よく整えられた街路樹や、城下町の川岸に行儀よく並んでいるものより、自然に伸びている方に惹かれる。車で40分ほどの定例句会に行く途中の丁度真ん中辺り、なだらかな山の中腹にある一本は、思うままに伸び放題で実に圧巻である。毎年この柳の芽吹きに出会う度、しなやかに逞しく生きて行きたいと反芻する。そう言えば栃木県那須町にある芭蕉の「遊行柳」も、何代目かなのでそう大木ではないが、自然のままらしく中々好ましい。
柳と言ってどうしても思い出してしまうのは、ヴェルディのオペラ『オテロ』の中の、オテロの妻・デズデモナのアリア「柳の歌」である。イアーゴの策謀で、夫から身に覚えの無い不貞の疑いをかけられたデズデモナは、死を覚悟して侍女に、「私が死んだら、婚礼の夜着を着せて埋めておくれ」と語りかけるように歌い始める。この中で繰り返されるのが、「柳よ!柳よ!柳よ!」の歌詞で、この上なく哀しく切なく、しかし崇高で透明感溢れる美しいアリアである。オペラに仕上げられたことで、シェイクスピアの戯曲を超えて、心に響いて来る。