2011年6月12日日曜日

私のジャズ(24)

60年代
松澤 龍一


JUBA-LEE (fontana SFON-7091)












サイケ、サイケデリック、ヒッピー、全共闘、反帝反スタ、オルグ、カルチェ・ラタン、学園紛争、学校封鎖、LSD、立カン、内ゲバ、機動隊、催涙ガス、ゲバ棒、ジグザグデモ、過激派、反代々木派、三派連合、革マル、民青、ジャズ喫茶、サルトル、構造主義、国際反戦デー、羽田闘争、新宿騒乱事件、東大闘争、日和る、総括、自己批判、ゴダール、トリュフォー、ベルイマン、ダベル、早稲田小劇場、天井桟敷、唐十郎、歌舞伎町、二丁目、道玄坂、深夜映画、名画座、名曲喫茶、火炎ビン、バリケード、劇的なるものをめぐって、白石加代子、鈴木忠志、別役実、べ平連、カルメン・マキ、時には母のない子のように、ゴーゴー喫茶.....と、60年代をひっくり返すと、色々な言葉が零れ出る。今では、ほとんどが言葉としてのインパクトを失ってしまった。あの1960年代と言う時代、江戸時代、鎌倉時代などと同じ括りで片付けられてしまいそうだ。

このレコードはマリオン・ブラウンと言うアルト・サックス奏者が1966年に吹き込んだもの。この人も60年代に現れて、60年代に消えてしまったジャズ・プレやーの一人である。全編、当時の流行りであった前衛精神に充ち溢れている。LSDの幻覚にヒントを得て、音楽による色彩の混合体を創りだそうとしたものだから、すさまじい。伝統的なジャズを聴きなれた耳には「何やこれ」である。その当時は、狭苦しいジャズ喫茶で、タバコの煙に燻されながら、一杯180円の煮しめたコーヒーを飲みながら、みんな一心不乱に聴いていた。

あの頃、あんなにも熱かった若者たちはどうしているのだろうか。年恰好から言えば、仕事を辞めて、一定の社会的責任は果たし、これからは悠々自適のはずである。今でもジャズは聴いているのだろうか。カラオケでド演歌など唄っていてくれていれば嬉しい。

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追加掲載(120104)
60年代はやはり、これ。