2011年12月11日日曜日

尾鷲歳時記(46)

文字と数字のパラダイス
内山 思考

本はみな四角き島や冬籠 思考

行きつけの書店・川崎尚古堂












子供の頃から勉強が苦手だった。 めんどくさがり屋で、興味の持てること以外に意欲を示さない、先生方からすると甚だ扱いにくい生徒だったに違いない。 特に敬遠したのは算数である。0と、1から9までの数字が無表情にくっついたり離れたりするだけの授業が退屈で、僕の頭はまったく違う空間に遊んでいたような気がする。 あまりに出来が悪いので、中学で理数系の教師をしていた父が心配して、算数を教えてくれようとしたことがあった。

ハードルをずいぶん下げて、数字を動物に見立てたりもしたが、彼の愚かな息子は、父はそうやって僕を騙しながら算数の世界へ引きずり込むつもりだ、と邪推?し、疲れて眠ったふりをした。 その後はテストの度に暗記することで、ある程度の点数を確保し何とか学生生活を全う出来たのは幸いだったと言うべきか。

運動も得意ではなかった。走るのは遅かったし球技も駄目、中学に入った時、撃剣の達人だった祖父に憧れて剣道を始めたのもつかの間、連日「面」だ「胴」だと叩かれるのが「めんどう」になってすぐ退部した。でも無茶苦茶な叩き合いは結構強かったことを付け加えておこう。

何度となく読み返す、
フェルマーの最終定理
それほど努力嫌いの僕が、たった一つ飽きなかったのは「読書」である。本を読むことだけが僕の救いであり生きがいであり、未来への導きだったのだ。基本的には雑読で、しかも早読み(速読術とは無縁)、分野は問わないけれど、最近は書店に入っても興味ある書物に巡り会う機会が少なくなって来たのは寂しい。

もしも、無人島に一冊だけ持って行くとしたら、僕は迷わず新潮文庫「フェルマーの最終定理」サイモン・シン著、青木薫訳をあげる。今、僕は思っているのだ。数学の世界とは何と魅力的でミステリアスなものなのだろうと。