2012年4月15日日曜日

尾鷲歳時記(64)

緑と土と
内山思考

花菜漬生涯いくつ目の茶碗 思考

春日に輝く瓦屋根













ひと雨ごとに野山の緑が容量を増してくる。 桜はまだ終わったわけでなく、染井吉野の葉は目立つものの枝垂れ、八重、御衣黄などがこれからもう少し楽しめそうである。それに山桜も。 この時期の尾鷲は、大仰に言えばどこへ行ってもどちらを向いても必ず桜が見える。 それを当たり前だと思っていたので、大阪の友人に電話した時その話をすると、都会では公園など特定の場所にわざわざ行かなければ花見など出来ないと羨ましがられた。ああ、そうなのか…。

桜以外にも、黒くてグキグキと折れ曲がった柿の木の枝に小さな緑の葉がつき始めた。そろそろ尾鷲は雨の季節になる。そうすればあの薄緑色の柿若葉が一斉に開きはじめ、灘の雨に濡れる。これもまた美しい。

柿若葉というと思い出すのが虚子の句「富める家の光る瓦や柿若葉」である。最近の建築ではあまり日本瓦は使用されないので新興住宅地へ行ってもこの句のような風景は見られないが、僕の住む町内は古い家が多いので瓦屋根は沢山ある。但し、富める家がその中に何軒あるかは知らない。

瓦の元は粘土である。炭焼の手伝いをするようになって随分経つが、土の凄さに感心することがよくある。炭焼窯は煉瓦と土(少しセメントを混ぜる)だけで造るが、それだけで千度以上の高熱を完全に遮断するのである。たった二十センチ程の厚みなのに素手で壁に触れても多少暖かく感じる程度である。他の素材ならそうはいかないだろう。窯が老朽化すれば崩してほとんど同じ材料で作り直せばいい。割れた瓦も使い道が無いわけではない。


港の夕日、
のどかな一日が終わる
それを沢山集めて重ねた土塀が最近まで尾鷲にあった。棄てるのでなく、どうやって再利用しようかと考える時代がそこにあったのである。 木と火と土と水は自然界の最小因子ではないかも知れないけれど、人間本来の暮らしを単位とした場合、それが基本なのは全く確かなことである。緑に包まれたこの地方とて車の移動に頼っている限り、土に触れる機会などほとんどない。心の中では自然が一番だ、と皆が思っているには違いないのだが。