2012年4月29日日曜日

俳枕 江戸から東京へ(69)

古川流域/三田寺町(その2)
文:山尾かづひろ 


おしろい地蔵










都区次(とくじ): 現在の場所は安全寺坂ですが、「安全寺」という寺があるのですか?
江戸璃(えどり): 坂の名はお寺の名に因んだものだけれど、第四代将軍家綱(1651~1680)のときに元麻布に移されて、この場所には無いのよ。次は「おしろい地蔵」よ。安全寺坂の先の蛇坂を下って、もと来た桜田通り出るわよ。桜田通りの南側を歩くと、お寺ばかりが続くのね。80体の寄せ仏のある隋応寺を過ぎると左への上り坂が見えるでしょ。
都区次: 「幽霊坂」と書いてありますね。この坂を上るのですか?
江戸璃: 結果的には坂の上に行くのだけれど、今回はまっすぐ行くわよ。長松寺の磴の下にでるでしょ。この長松寺には儒学者の荻生徂徠の墓があって、国の史跡になっているのよ。
都区次: 墓を拝んだら、桜田通りに引っ返すのですか?
江戸璃:引っ返さない。墓地の奥にマンションへの階段があって、これを利用すると裏手の横道へ抜けられるのよ。左に行けばさっきの「幽霊坂」の中ほどに出られるのよ。その「幽霊坂」を右折したすぐ右側が玉鳳寺で、山門の左側に安置されているのが「化粧延命地蔵」で、いわゆる「おしろい地蔵」なのよ。

荻生徂徠の墓














行く春やおしろい地蔵の濃化粧 長屋璃子(ながやるりこ)
人呼んでおしろい地蔵春惜しむ 山尾かづひろ