2012年7月8日日曜日

俳枕 江戸から東京へ(79)

愛宕山の周辺(その1)青松寺
文:山尾かづひろ 

青松寺









江戸璃(えどり): 先月の6月23・24日は愛宕神社の千日詣(鬼灯市 ほおづきいち)だったのよ。私は、あれが来ると夏が来たと思うのよ。
都区次(とくじ): それでは愛宕神社へ行くわけですね。
江戸璃:もちろん今回のシリーズでは愛宕神社へ行くけれど、今は梅雨時なので梅雨が明けてから行くことにしたのよ。それまでは愛宕山の周辺を見ることにしたわけ。まず、東京メトロ日比谷線の神谷町駅から青松寺へ行くわよ。この寺は太田道灌が文明8年(1476)に雲岡(うんこう)という僧を迎えるために現在の平河町(千代田区)に建てた曹洞宗の寺なのよ。その後、徳川家康の江戸城拡張で現在の地に移ってきたわけ。


禅堂の梅雨にふくらむ青畳  熊谷彰子


都区次:墓地にある奴地蔵とは何ですか
江戸璃:これは津山藩(岡山県)の足軽だった芦田義勝の墓なのよ。義勝は槍持で、主人の松平越後守の槍は大変長くて、重かったわけ。倒さないように持つための苦労が多くて、倒して討ち首になった者も多くいたのよ。元禄14年(1701)義侠心の強い義勝は後進の槍持に苦労を残すまいと槍の柄を1メートルほど切り落して、その場で切腹したのよ。その後、松平家では再び切られるのを恐れて、槍の柄に鉄の筋金を入れたそうよ。義勝の義侠心を称揚する気持ちから、腰から下の病にご利益があるとされ、治ったものは竹筒に酒を入れて供える風習ができたそうよ。



奴地蔵









梅雨の灯の町に大寺茫茫と 長屋璃子(ながやるりこ)
酒供ふ奴地蔵へ梅雨半ば 山尾かづひろ