2013年5月5日日曜日

俳枕 江戸から東京へ(122)

山手線・日暮里(その22)
根岸(上根岸82番地の家⑦「子規庵」)
文:山尾かづひろ 

書道博物館













都区次(とくじ): 子規は俳句革新を進めるのに写生を作句の基礎におきました。この手法はどこから会得したものですか?

 洋画家に習う写生や桐の花 小熊秀子

江戸璃(えどり): 新聞『日本』が過激で発行停止をしょっちゅう喰らうので、代用紙として家庭向けの新聞『小日本』を発行することとなったのよ。子規が編集長となって挿絵がよくないと注文をつけたので古島一雄のルートで雇った洋画家が中村不折だったのよ。
都区次: それでは子規は不折から写生を習ったのですね。
江戸璃: 結果的にそういう事になったのだけれど、当時の子規は頑固な日本画崇拝者で不折と逢う度に画壇を非難していたのよ。ところが自分の俳句作法の上にのせてみると悟るところが多くて、不折に写生を習う気になったのよ。不折の自宅は子規庵の向いで、現在は台東区立の書道博物館になっているわよ。
都区次: ところで今日は日暮里からどこへ行きますか?
江戸璃: 今日の5月5日は子規ゆかりの浅草で「宝の舞」をやっているから見物がてら、お昼を食べてみない?

浅草・宝の舞










下駄が行く仲見世辺り夏立てり 長屋璃子(ながやるりこ)
白扇をはらりと開き仲見世へ  山尾かづひろ