2014年1月5日日曜日

俳枕 江戸から東京へ(157)

山手線・日暮里(その57)
根岸(上根岸82番地の家(41)「子規庵」)
文:山尾かづひろ 

延命院本堂










都区次(とくじ):明けましておめでとうございます。今日はどこへ案内してくれますか?

寒禽の声の沁み入る椎大樹 大森久実

江戸璃(えどり):先日の経王寺の門前先を進んだ延命院を覗くわよ。右手に樹齢600年という椎の大樹があってね、本堂の右手には寺の前の坂の名にもなった七面堂があるのよ。ここから話が凄くなるのよ。大矢白星師が一行を七面堂とは反対側の本堂の隅に案内して、藪を分けたら「行碩日潤聖人、享和三年七月二十九日」と刻まれた墓石が現れたのよ。私も藪を分けてみるわね。この享和3年は1803年なのね。これが延命院騒動の日潤和尚で、墓石に刻まれてあるのは処刑日なのよ。日潤は初代尾上菊五郎の妾腹の子でね、僧籍を得て延命院の住職になったのね。日潤は役者の妾腹の子らしく安珍のように眉目秀麗でね、参詣の女人らは一と目見て魂を奪われたらしいわよ。当時、疱瘡が流行っていてね、延命院では疱瘡除けの祈祷をしたり、護符を出したりしていてね、それで寛永寺代参の奥女中らが延命院に寄ったのよ。この時の延命院は奥女中のホストクラブのようになっていてね、身重になっちゃった奥女中には阿蘭陀通詞をしていた寺侍・森山丈之助が堕胎薬を与えていたというから驚きよね。享和3年7月中の頃、町奉行の耳に入り、女犯(にょぼん)の罪で検挙されたそうよ。捜査は寺社奉行との打合せで行い、奥女中の方は疑いの範囲が上の方にまで広がって収拾がつかなくなり、被害者としてお咎めなしだったそうよ。
都区次: ところで今日はどこへ行きますか?
江戸璃: 今日は寒の入りだから銀座八丁目のおでん屋「お多幸」で熱燗を飲みたくなっちゃった。
都区次:いいですね行きましょう。

延命院椎の大樹













五日はや谷中の墓地にブーツかな 長屋璃子(ながやるりこ)
寺守の寄鍋支度の女かな     山尾かづひろ