2014年2月16日日曜日

尾鷲歳時記(160)

 誕生日の前後
 内山思考

 海の幸呉れ山の幸遣る紀元節   思考

買ってきた沖縄本(一部)









 9日の朝、いつもより少し早く(7時頃)起きて帰り支度を始めた。年末に沖縄のこのアパートに来た時は2月なんて随分先のことだと思っていたが、本当にあっと言う間にその日がやってきた気がする。忘年会だ新年会だと新交旧交を暖めている内に松の内が過ぎ、寝て起きて、食べて飲んで、読んで書いてテレビ見てまた寝る毎日に変化をつけたくて、車を使わず歩き回ることを日課にし始めた。昼食のあと地図を見ておいて1日一万歩が目標だったのが、だんだん距離が増えてしまった話は以前書いた。

沖縄戦記を読むと、知った地名がたくさん出て来る。アパートのある安謝も例外ではなく、とにかく沖縄はどこを歩いても戦跡なのだから、七十年という時間差はあっても、日米両軍が殺し合う中を県民が逃げ惑った空間はそのまま残っている。そこを実際に確かめてみたくなったのだ。しかし車とビルと観光客とウチナンチューでごった返す街にそんな暗いイメージは全く無いと言ってよかった。

「それでもいろんな所へ行ったな」―那覇空港へ向かうヒロコさんの車(左ハンドルのカリーナ)に揺られながら、ここも歩いた、あそこを曲がったなどと、感慨に耽るうちに20分ほどで到着。一緒に帰鷲する青木夫妻はたぶんタカシさんの車で先に着いているはずだ。11時のフライトにまだ時間があるけれど、駐車も手間だし大仰な別れは嫌なので、ヒロコさんに帰って頂くことにした。

今朝の尾鷲は冷雨、
天狗倉山は雪
「お世話になりました」というとヒロコさんはニッコリ微笑んで「早く(沖縄へ)帰っていらして」。と手を振ってくれた。この日、関東は記録的な大雪で欠航が相次ぎ、空港のロビーは大混雑、でも青木上人の姿はすぐ発見、こうして内山夫婦の沖縄プチ移住は一旦終了したのである。そして二日後に僕の六十一回目の誕生日がやってきて、青木夫妻が食事をご馳走して下さった。もちろん、沖縄での思い出話に終始し、笑いが絶えなかった。でもやっぱり尾鷲は寒い。