2014年4月13日日曜日

尾鷲歳時記(168)

観音様と甘茶仏
内山思考

来ぬのかと思うていたと灌仏は   思考 


僕は鉄塔を擬仏化?
して見る癖がある















最近よく夢を見る。夜が明ける頃に一度目覚め、それから浅い眠りが続くから、そのまどろみが夢を呼ぶのであろう。たいていは着替えたり顔を洗ったりする内に忘れてしまうものだが、先日の夢は違った。僕が誰かの片脚にしがみついているのである。太ももを胸に抱いてその下肢を両足に挟んでいる。そしてとても安堵しているのだ。僕がときどき身じろぐと脚もそれに応えるように動いてくれる。ストーリーも何もなく内容はそれだけ、でも起き出した時の気分はとてもよかった。

妻のいる名古屋の病院へ向かう車中で、あれは一体誰の脚だったのだろうと考えた。豊かな母性は感じられたが母ではなかった。妻のような親しさもないがよそよそしくもなく、どこかエロティシズムを漂わせ、且つしなやかさと弾力性に富んだ脚。たしか黒いストッキングを履いていたっけ。まるで何とかフェチの世界やな、と一人で笑いながら高速道を疾走する内に、ふと、あれは観音様の脚だったんじゃないかとひらめいた。そうだ、それなら納得だと頷きながら僕はアクセルを少し強く踏んだのだった。


妙長寺の花御堂、奥に青木上人















春の夢観音の脚抱きしめて   思考

 翌日、尾鷲に帰って妙長寺へ用事に行くと、本堂の前に花御堂が設えてあり、奥から青木上人の読経が聞こえた。その日はお釈迦様の誕生日を祝う花祭り。手を合わせる僕を、小さなお釈迦様が「おい元気か」と見上げてくれているような気がした。