2014年4月27日日曜日

尾鷲歳時記(170)

登り上手は下(お)り上手 
内山思考  

鴬の音に打たれつつ世に戻る   思考

北側から見た
馬越(まごせ)峠の標識









人体を宇宙にたとえれば、「気」が時間で「生身」が空間のように思われる。僕は時折、机の前に座って「ああ、時間が草臥れてるな」と感じることがある。大抵が朝だ。心は大きく思考の翼を広げようとしているのに、現実の(内山)思考は猫背で内々にイメージをこわばらせているわけである。そんな時は時の流れを元に戻す為に躊躇なく天狗倉山(522㍍)に登る。

要は気分転換である。僕の家は麓だから、助走もイントロも無しにいきなり一歩づつ高度がかせげるのが強味。しかし、最初の墓地の坂が辛く、今回も山頂の大岩が、晩春の青空に小さく触れているのを見上げ「あそこまで行くのかよ」と情けなくなった。

でも三分の一も登って木陰の石畳道に差し掛かる頃には、足取りが楽になるのはわかっている。そこまでが辛抱なのだ。案の定、中途から杉木立が陽光を適度に遮ってくれ、気持ちに余裕が出て来た。せせらぎの音、鶯の声なども山中の奥行きを高低を優雅に広げてくれる。下ってくる人も結構いて、話し声が先に降りてくると二人以上だとわかる。

登り始めは「お早うさん」だったのが馬越峠を越えたあたりから「こんにちは」に変わり、挨拶した後で「思考さんじゃないの?」と言ったのは、古道の語り部のKさんだった。出発して一時間、ようやく山頂に至って、先着氏と束の間会話するに、彼は月の半分はここに来るとサラリという。それではと帰りはじめたら大岩の下で「あれ?思考さん」と杖を休めたのは別のKさんで久し振り。

尾鷲は美しい街である
しかし緑の奈落への下降は脚が突っ張って大変だ。ずいぶん下ったと思ったら、さっきのKさんがあっという間に登頂を果たし背後に迫った。よく来るのかと問えば「ほとんど毎日やな」と笑顔を返し、まるで平坦地を歩くように急な石畳を下るKさんは天狗か仙人か・・・・。カクカクと膝を笑わせながら家に戻ると、僕の宇宙時間は予想通り、普通の流れに戻っていて嬉しかった。