2014年5月25日日曜日

尾鷲歳時記(174)

初夏の安静
内山思考  

点滴と尿の間(あわい)の夏布団   思考

和田さんのエッセイには
癒やし効果がある













 「さあ出発」と看護師が小さい声を出してベッドを押し始める。点滴のポリ袋がベッドの横で揺れながら一緒についてくる。ベッドを押すのはむつかしいのか、やさしいのか。天井の景色はいとも滑らかにうしろへ流れ、廊下を曲がり、大型のエレベーターに乗りこむのにもほとんど音を立てない。何階か下ったところで、エレベーターを降り、廊下をしばらく行くと、手術室の扉がひとりでに開いて、なおもグングンと奥へ奥へと突き進む。ここまでの文章は和田悟朗さんが平成2年に自らの体験を書かれたもの(活日記より)。

ただし本当は看護師でなく看護婦、ポリ袋は壜と記載されていて二十余年の歳月を感じる。実は僕が先日腎臓摘出手術を受ける際、まったくこれと同じ状態だったので引用させていただいた。同じでないのは、和田さんの状況観察はその後も続き、全身麻酔で眠ってしまうまで、克明に記憶していることである。流石である。

僕は自分が痛みに弱く怖がりなのを事前にアピール済みだったので、担当医が相応の対処をしてくれたらしく、病室を出た記憶すら定かではない。それが8時45分。気がつくと手術は終わっていてやたらガタガタと震えていた。医師の説明によると昏睡により下がった体温を取り戻そうとする、人体の本能的な働きだそうだ。結局僕の体内から取り出された左の腎臓が恵子の右腹部へ収まったのは夜の8時半だった。

旅行好きな二人
2002年天安門広場で
そして彼女はしばらくICU(集中治療室)へ、僕は生まれて初めての入院生活に入った。弥生が看病についてくれた。娘だと気兼ねがなく助かる。さまざまな管に繋がれ手術の翌夕、最初の飲み物と食事が許されるも食欲皆無で、三分粥とタマゴ豆腐に悪戦苦闘、とにかく元気印だった僕は何もかもがファンタスティックな世界の中にいたのだった。24時間飲まず食わずは大矢数俳諧で何度か経験したが、今回の僕は病室の空間を見つめるだけの「内山無思考」状態にあった。