内山思考
恋はまだ地球を出でず西鶴忌 思考
秋双特選の祖父の句 冴返る幾日を梅の蕾かな |
僕の祖父田花(たばな)房吉が俳句を始めたのは昭和七年だと日記に書いてある。四十の手習いで思考の俳号も自ら名付けたそうだ。一時「思幸」の時もあったようだ。ちゃんと記述があるから、ああそうなんだと知ることが出来る。でなければ時の彼方に消え去った筈の出来事だから、あらためて文字の力は凄いと思う。手元に「大樹」の昭和七年九月号がある。同誌は昭和二年七月に創刊されたばかりで、まさに黎明期の一冊である。当時の主宰は芦田秋双(十一年八月号から北山河)、表紙の無いのが残念だが、紙質も良く、終わりの方には大阪神戸の十以上の吟社の会報が載っている。八十年前も俳句熱は盛んだったと見える。雑詠欄に「朝顔の鉄条網にからみけり・思考」があり多分、活字になった最初の祖父の俳句ではなかろうか。
驚くのは巻頭に「子規居士の書簡」が写真入りで紹介されていることだ。しかも鮮明である。持ち主の正木瓜村氏の一文によると、入手の経路は氏の母方の従兄が松山高等女学校に奉職の際に手に入れ(明治四十五年頃)、本棚の隅に放ってあったのを自分が持っているよりは、と進呈されたのだとか。
子規居士の書簡 |