2015年6月14日日曜日

尾鷲歳時記(229)

雨音を聞きながら 
内山思考 

筆立に種々の筆立て夏木立   思考

牛乳パック製の筆立て









朝から縁側の先で雨音がボトボト絶え間なく続いている。東海地方もいよいよ梅雨入りしたようである。明ければ本格的な夏がそこにいるはずだ。春先の予定では今頃、恵子と二人で安謝のアパートにいるはずだったのに、僕の歯の治療が思った以上に長引きそうなので、沖縄行きはしばらく延期することになった。口内の隅々までちゃんと治療してから「バンボシュの焼き肉(食べ放題)」や「みのやのナーベラ(へちま)定食」や「食堂グミのフー(麩入り)チャンプルー」をガツガツ平らげたいではないか。でも時々、声が聞きたくてヒロコさんやタカシさんに電話して、こんなに声は近いのにね、などと笑いあったりする。そしてあとでさみしくなる。

振り返ると沖縄の反対方向の東北への旅も少しずつ過去の出来事になりつつある。一応、「みちのく百句」は作ったものの詠い残した風景やエピソードがたくさんあって、それらを記憶の薄れないうちに句にしておかなければ勿体無い。「行ってきました」「美味しかった」「楽しかった」だけで済ましたら、せっかくの体験が無駄になる。旅は言わば食材集めで、帰ったらそれらを使ってどんな料理を作るか、が大事なのだと思う。

百杯以上食べると
貰える
別に作品でなくても日常を見直す要素になればそれはそれで行った甲斐があるというものだが。先日、知人に「岩手でわんこそば百八杯食べた」とメールしたら折り返し「わんこそば百八句では?」と返事が来た。ハハハと笑ってからそれも面白いと思ったので挑戦することにした。途中まで辿った北斎の「冨嶽三十六景(46枚)各十句」はあと十九景を残していて、その旅には「わんこそば百八句」の後にまた戻ることになる。