2015年12月6日日曜日

江戸から東京へ(257)

泉岳寺
文:山尾かづひろ
挿絵:矢野さとし

義士の墓















都区次(とくじ):とうとう12月になりましたね。
江戸璃(えどり):12月 と言えば忠臣蔵よね。この忠臣蔵関連の季語には①義士会、②義士祭とあってね。

①は冬の季語で、12月14日。元禄15年のこの日、赤穂義士が吉良上野介邸に討入って、主君浅野内匠頭の仇を討ったわけ。義士の墓所である東京高輪の泉岳寺は、この日参詣者の香煙が絶えないわね。
②の方は春の季語でね、4月1日から7日まで泉岳寺で、赤穂義士の霊を祀り、武士道の心を称える催しが行われるわけ。ここで私が話をしたいのは①の方で、現代俳句協会のデータベースにはどんな句があるか調べてみたわけ、ちゃんと二つ有ったわよ。どちらも現代俳句協会員の方でね。私の好きな雰囲気なのよ。

義士の日に探し回りし頭痛薬   松本静顕
討入の夜にたむろして地下酒場  高橋淳二

江戸璃:私も江戸っ子だから14日まで待てないわけよ。野木桃花師を先達にして泉岳寺へ「いざ」出立というわけ。

そぞろ寒屈みぬかづく血染石   内藤みのる
手向けしは四十六基返り花    野木桃花

江戸璃:赤穂四十七士の墓があることで余りにも有名なこの寺について一つだけ触れておくわね。吉良邸に討入ったのは47人だけれど、墓は46しかないのよ。切腹しなかった寺坂吉右衛門は、石塔はあるけれど墓はないのよ。寺坂は討入りのあと、事件の顛末を各所に報告する密命を帯びて姿を消し、83歳の天寿を全うしたわけ。麻布の曹渓寺に身を寄せた時期もあって、本当の墓は曹渓寺にあるのよ。もう一つの「忍道喜剣」と書かれた石塔があるけれど、これは同志の萱野三平の供養塔ということになっているわね。萱野は刃傷の一件を赤穂へ知らせた使者で、同志に加わりながら親の許しが得られず、忠と孝との板挟みなって討入り以前に自決してしまったのよ。後に早野勘平として人形浄瑠璃や仮名手本忠臣蔵に登場するのはよく知られているわね。

時を経て血染めの石の冷たかり     大木典子
冬ぬくし押絵の語る義士伝記      大本 尚
着膨れの一団義士に成りきって     奥村安代
小春日や本懐とげし墓並ぶ       加藤和男
香煙の移り香纏ひ冬の街        金井玲子
着ぶくれてしんがりに付く義士の墓   鈴石紫苑
十六で義士と呼ばれし石蕗明り     丸笠芙美子
極月やマンション群に古き寺      緑川みどり
冬晴や四十七士の墓碑に香       村上チヨ子
冬ざるる別れさまざま赤穂義士     油井恭子
線香代渡す手受ける手悴みて      脇本公子
内蔵助の像静謐に散紅葉        加藤 健

江戸璃:一般的なアクセスは都営浅草線の泉岳寺駅で降りるのが一番便利よ。

冬ざれや義士が墓石も玉垣も     長屋璃子
たっぷりと冬の日を受け義士の墓   山尾かづひろ