2011年4月24日日曜日

俳枕 江戸から東京へ (17)

日本橋・銀座界隈/日本橋
文 : 山尾かづひろ

日本橋(広重)


都区次(とくじ): それでは人形町より日本橋へ行ってみましょう。年表によると初代の橋は慶長8年(1603)に架けられています。この日本橋は明治維新までに何度となく架けかえられていますが、どういうわけですか?
江戸璃(えどり):何とこれが「驚き桃の木山椒の木(おどろきもものきさんしょのき)」で、江戸には火事が多くて10回も焼け落ちちゃったのよ。
都区次: さて、日本橋の北詰には関東大震災まで魚河岸があったというのはよく知られていますが、南詰には何があったのですか?
現在の日本橋
江戸璃: 何しろ日本橋は慶長9年(1604)に五街道の起点となり江戸の中で最も賑わう場所となったものだから、三越から日本橋を渡った南詰には晒刑場があったのよ。女犯の売僧や情死未遂者が三日間ずつ晒されたのよ。日本橋に晒があるといえば、黒山のような野次馬が思い思いの茣蓙を持ち込んで半日でも一日でも見物していたのよ。ことに情死未遂の人気は大変なものだったそうよ。本当に「恐れ入谷の鬼子母神」よね。


(日本橋にて)
飾りかけし馬車集ひけり日本橋 正岡子規
日本橋に酒樽凛と年用意    山尾かづひろ