2012年1月22日日曜日

尾鷲歳時記(52)

ミスとスミ
内山思考

 微笑んで僧の水洟光りけり 思考

灼熱の窯出し作業












「あ、しまった!」 紀勢新聞を読んでいて思わず声をあげた。毎年、自分のコラム「内山思考の四季即是句」に、頂いた年賀状の俳句をすべて紹介していて、今回も三十句ほど掲載したのだが、最後の和田悟朗さんの名が「悟郎」になっている。大体、アイウエオ順なのでいつも最初が青木健斉上人、とりが和田悟朗さんなのだ。ゲラを貰って一度、校正したにもかかわらず見落としたのである。

和田さんは自分の名前が誤記されることについて書いておられ(「時空のささやき・名前のこと」)、 僕はそれを読んだ時、世の中には何と無神経な輩がいるのだろうと嘲笑し、自分も「思考」を「思孝」と間違われるなどと文章にした記憶がある。なのに…嗚呼。和田さんも紀勢新聞の購読者である。すぐにお詫びの電話を入れると、「ハハハ、よく間違われるんだ。」と笑って下さった。そう言えば以前、「校正は神様にしか出来ない」と言っておられたっけ。

内山思考の四季即是句
左下が悟郎に
しかし、落ち込んではいられない。今夜はバイトで窯出し、つまり炭がまから備長炭を取り出す作業に行く日なのだ。車で約二十分走って隣の紀北町の山中へ、すでに親方が待っている。窯の入り口から炎が噴き出している。親方ことTさんは脱サラで炭焼を始めて二十年、自然回帰型の考え方には共感する部分が多く、一緒に仕事するのが楽しい。窯の内部温度は千度をゆうに超えるだろう。そこから真っ赤に焼けた炭を長いステンレスのフックで掻き出しては、灰をかけることの繰り返しで、五、六時間の体力勝負だ。辺りに民家は無いので星空がすぐ近くに見えるし、時折、森の中に鹿の目が光ったりもする。日付が変わる頃に帰宅、風呂に入ったら今度はノルマの新聞コラムが待っている。「さて、何書こうか」、睡魔を押し返しながら何とか七百字仕上げて就寝は結局一時だった。