2012年1月22日日曜日

私のジャズ(55)

ブルー・ノート
松澤 龍一

 BASSIE SMITH THE COMPLETE RECORDINGS VOL.1
(SONY SRCS 5505~5506)













「ブルー・ノート」と言うと、ハード・バップ全盛期のレコード会社とか日本にあるジャズ・クラブを思い浮かべるが、元々はブルー・ノート・スケールのことである。ブルー・ノート・スケールとは西洋音楽の音階の長調の三度(ミ)、五度(ソ)と七度(シ)が半音下がる、ドレミ(b)ファソ(b)ラシ(b)ドと言う音階のことである。半音下がる(実際にはきっちりと半音では無いらしいが)ことを音がブルーになるとでも言うのだろうか。

このブルー・ノート・スケールに基づいた音楽がブルースと呼ばれるもので、アフリカより連れられてきた黒人が、その血に流れる彼の地の音調を耳から入った西洋音楽の音階に混ぜながら、口ずさんでいたものだと思う。従って、西洋音楽の長調でもなく短調でもなく、物悲しいようであって、物悲しくは無く、明るそうであって、底抜けに明るくは無く、一種独特の情感の漂う音楽になって来る。

ブルースの皇后と呼ばれたベッシー・スミスのブルースを聴いてみよう



ブルー・ノートに関しては1960年代に、当時新進気鋭のジャズ・ピアニストであった山下洋輔がジャズの専門誌に寄稿した「ブルー・ノート研究」と言う小論文がある。残念ながら現在手元に無いが、そこに書かれていたことで頭に残っているのは、よく子供の頃に「何とかちゃん、遊びましょ」という言葉、その言葉の音程は西洋音楽に無いもので、ブルー・ノートもかくの如く音の一種の訛りのようなものだと言うことである。西洋音階に対するアフリカの訛かと妙に感心した覚えがある。

南部の綿花畑や作業現場や台所などで、黒人たちに口ずさまれてきた歌はやがて、都会に流れ、南北戦争後に流出した西洋の楽器でも演奏されるようになり、いつしかジャズと呼ばれるようになる。まさにジャズとはブルースの都市化、器楽化であった。